梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

乳幼児の育て方・Ⅰ・「笑う子」と「笑わない子」

【誕生から3ヶ月頃まで】
お母さんにとって、赤ちゃんの「にっこりした笑顔」ほど素晴らしく感じるものはありません。思わず抱き上げて、ほおずりしたくなるでしょう。毎日の育児や家事の疲れがいっぺんにふきとんでしまい、この子のためならどんなことでもしてあげようという気持ちが湧き上がってくるでしょう。赤ちゃんの「にっこりした笑顔」は、お母さんの気持ちに張り合いを与え、育児に対する意欲を奮い起こさせるという意味で、大きな力を持っているといえましょう。そればかりではありません。お母さんに限らず、周囲のおとなたちは、にっこり笑っている赤ちゃんを黙って見過ごすわけにはいかないという気持ちになるのです。
 電車の中などで、おんぶされた赤ちゃんがニコニコ笑ったりしていると、全く見ず知らずの人が思わず笑いかけたり、あやしたりしている光景をよく見かけます。そして、その赤ちゃんを、周囲の誰もが「なんて可愛い赤ちゃんだろう」と感じたりするのです。
 こうしたことも、ごくあたりまえのように思われますが、赤ちゃんの成長発達にとって、とても大切な役割を果たしています。つまり、「赤ちゃんが笑う」ということの中には、次の二つの重要な意味がふくまれているのです。第一に、赤ちゃんは「笑う」ことによって、周囲のおとなを惹きつけることができます。私たちおとなは、笑っている赤ちゃんに対して「必ず何かの働きかけ」をするのです。笑い返す、あやす、ことばをかける、抱きしめる等々。そのことによって、赤ちゃんはたくさんの刺激を受けることになり、見たり聞いたり感じたりする機会が倍増するでしょう。しかも、それらの刺激は直接「人間」が与える刺激であり、その内容も極めて人間的なものといえましょう。くるくる回っている風車をぼんやり見つめている時とは比べものにならないほど、多くの人間的なことがらを学ぶことができるでしょう。
 「赤ちゃんが笑う」ということの中にふくまれる第二の重要な意味は、そのことによって自分以外の人間と「やりとり」をすることの楽しさ・おもしろさを知り、その「方法」を着実に身につけていくことができるということです。赤ちゃんが笑います。おとながあやします。赤ちゃんが「もっと」笑います。おとなが「もっと」あやします。こうした繰り返しは、もうすでに立派な「気持ちのやりとり」です。人と「やりとり」をするということは、何らかのサインを相互に送り合う(交信する)ことですが、そのためにはある時間の流れの中でサインを送ったり受けとめたりする役割を交互に演じ変えていかなければなりません。また、他人のサインを受けとめるためには一定の集中力も必要ですし、逆に自分がサインを送る時も相手の状態をよく見極めておかなければならないでしょう。今、赤ちゃんは「笑いかける」ことによってサインを送り、「笑い返す」ことによってサインを受けとめたことを伝えようとしているのです。いわば「笑いかける」ことは話しかけであり、「笑い返す」ことは返事なのです。そしてこのことは、将来、赤ちゃんが「ことば」(対話)を学んでいくうえでの、極めて重要な土台になると考えられます。なぜなら「ことば」とは、まず第一に他人と「気持ちのやりとり」をするためにあるからです。そして、ことばを学ぶということは、つまるところ「ことばを使って他人と様々な内容のやりとりをすること」を学ぶことに他ならないからです。
 【聴覚に障害のある赤ちゃんは、何もしなければ「ことば」をおぼえることはできない、といわれています。だから、赤ちゃんに聴覚の障害がありとわかったら、いっときも早く「特別な方法」で「ことば」を教えていかなければならない、といわれています。そしてその「特別な方法」のまず第一歩は、「ことばのやりとり」の土台となる「ことば以前のやりとり」が確実にできるようにすることなのです。「ことば以前のやりとり」、その代表的なものが「笑顔によるやりとり」ではないでしょうか。ホラ、赤ちゃんが笑っています。お母さんに話しかけているのです。お母さんも笑い返して下さい。やさしくことばを投げかけて下さい。ほっぺたをつついて下さい。ホラ、赤ちゃんがもっと笑いました。赤ちゃんは返事をしたのです。「おもしろいなあ、もっとしてよ」、もうすでに学習ははじまっているのです。
 「赤ちゃんが笑ってくれません」。どうしてでしょう。原因を考えてみて下さい。何か思いあたることはありませんか。お母さんと接することの少ない赤ちゃん、かぜや消化不良で発育が順調でない赤ちゃん、周囲の物音に敏感すぎる赤ちゃん、泣くことの少ない赤ちゃん、おとなしく手のかからない赤ちゃん、がまん強い赤ちゃん、みんなまだ自分のことでせいいっぱい、とても他の人とやりとりをするゆとりがないのです。
 でも、あきらめてはいけません。赤ちゃんにとって、お母さんの「にっこりした笑顔」ほど素晴らしく感じるものはないかもしれないからです。】(1977.1.10)