梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

フォークの神様・岡林信康の《変貌》

 ふと何気なくテレビのスイッチを入れたら、岡林信康の歌声が聞こえてきた。(NHKテレビ・「SONGOS」・2010.2.3.午後10時)それも、こともあろうに何と、あの「悲しき口笛」(唄・美空ひばり)を口ずさんでいたのである。世の中、変われば変わるもの。あの長髪に髭だらけ「イエス・キリスト」然とした容貌は何処へいったやら、小綺麗さっぱりとした初老のジェントルマンといった風情で、さだめし優雅なライフワークを送っているとしか見受けられなかった。その昔(1970年代)、彼は「フォークの神様」として、詠ったものである。「今日の仕事はつらかった あとは焼酎をあおるだけ どうせどうせ山谷のドヤずまい ほかにやる事ありゃしない」(「山谷ブルース」)、「うちのお父ちゃん 暗いうちからおそうまで 毎日くつをトントンたたいてはる あんな一生懸命働いてはるのに なんでうちの家いつもお金がないんやろ みんな貧乏がみんな貧乏が悪いんや そやでお母ちゃん家を出ていかはった おじいちゃんにお金の事で いつも大きな声でこられはったもん みんな貧乏のせいや お母ちゃんちっとも悪うない チューリップのアップリケ ついたスカート持って来て お父ちゃんも時々こうてくれはるけど うちやっぱりお母ちゃんにこうてほし うちやっぱりお母ちゃんにこうてほし」(「チューリップのアップリケ」、「もしも差別がなかったら 好きな人とお店がもてた 部落に生まれたそのことの どこが悪い なにがちがう 暗い手紙になりました だけど私は書きたかった だけども私は書きたかった」(「手紙」)、「暗い飯場の片隅で 一人のみほす茶わん酒 せんべい布団にくるまって おれが見る夢 何の夢 どこか似ているこの街が 思い出させる故郷を 飯場 飯場と渡ってく おれは一生流れ者」(「流れ者」)。詩は詩、唄い手は唄い手、歌手が詩のように「生きる」必要は毛頭ない。とはいえ、1970年代に生きた「若者」(私も同世代)の「末路」とは、このようなものであったのか。そういえば、劇作家・福田善之の作品「三日月の影 尼子十勇士始末」(テレビドラマ・NHK劇場)の中にも以下のような挿入歌があったっけ・・・。「ドン、ドン、ドン底 ドン、ドン、ドン底 みんなすてきなやつだった、音に聞こえた十勇士 その名も尼子十勇士 落伍しようか裏切りか お手々つないでヒモツキか 草葉のかげで泣いている 同志の顔が目に浮かぶ ドン、ドン、ドン底 ドン、ドン、ドン底 のびた月代なでながら そっと溜息虫の息 音に聞こえた十勇士 その名も尼子十勇士 十年前には知らなんだ 五年前にも知らなんだ 若い仲間のおれたちが こんなになるとは知らなんだ」(「真田風雲録」(福田善之作品集)・三一書房・1963年)
 いずれにせよ、変わったのは「おれたち」、世の中は昔も今も「不変」であるることを」肝銘しなければならないだろう。私は、岡林信康の歌声(「悲しき口笛」)に注目して(聞き耳を立てて)いた。「笑いながらに」の「ガ」、「別れたが」の「ガ」を「鼻濁音」で唄うかどうか、なるほど美空ひばり同様、彼もまた見事に「鼻濁音」で唄っていた。そのことだけが、せめてもの「救い」「なぐさめ」と言えなくもないか・・・。(2010.2.3)