梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

2歳男児の《述懐》(つくり話)

 ほんとうのことをいうと、ボクは「うみ」よりも「やま」のほうが、すきなんだ。じいじは「うみへいこう」と、にいちゃんとボクをつれて「うみ」にむかった。でも、とちゅうで、ボクはどうしても「やま」にいきたくなって、じいじに「おうちかえる」といったんだ。でも、にいちゃんはうみへいきたいので、じいじはこまってしまった。ボクに「ひとりでかえるか?」とたずねたので、ボクは「ウン」とこたえた。「じゃあ、じいじがここでみているから、ひとりでかえりなさい。まいごにならないようにな・・・」。ボクはおうちのほうにむかってあるきだした。じいじたちは、じばらく、ボクの「うしろすがた」をみていたようだけど、しばらくいってふりかえると、もう、すがたはみえなかった。じいじとにいちゃんは「うみ」へいった。ボクは「やま」へいこう。「やま」はすずしい。いいにおいがする。せみもないている。ボクは、おうちにはかえらないで、どんどん「やま」をのぼっていった。(中断・空白)
 だれかが、ボクをさがしにきた。ボクのなまえをよんでいる。ボクは「おうちにかえる」といって、やまにいった。だから、ウソをついたことになる。おこられるかもしれない。ボクをさがしているのは、「おまわりさん」や「ショーボー」のひとたちだ。わるいことをすれば、つかまってろうやにいれられる。ウソをつくことは、わるいことだから、ボクをさがしているのだろう。みんながいなくなるまで、みつからないようにかくれていよう。(中断・空白) 
 かあちゃんのこえがきこえる。あいたいなあ。じいじもさがしにきた。おこられるかなあ。うそをついてごめんね、じいじ。 
(中断・空白)
 よるになり、あさがきて、またよるになり、またあさがきて、もういっかい、よるになった。おなかがすいたなあ。かわのみずをのむと、おなかがふくれるけど、なにかたべたい。ウソをついてわるかったな・・・。あやまろうかな。ボクは「かわ」の「いし」にこしかけて、もういっかい、あさがくるのをまった。(中断・空白)
 あさがきた。したのほうからこえがきこえる。こえがだんだんおおきくなった。はっきりとボクのなまえをよんだので、ボクも「ここにいるよ」と「こえ」をだした。すると、たちまち、はちまきをした「おじいさん」があらわれ、かおを「くしゃくしゃ」にして ボクをだきしめた。「よかった、よかった、よくがんばった」といい、あめだまをくれた。ボクはガリガリとかんでのみこんだ。おこられるとおもったけど、「おじいさん」はすこしもおこらなかった。タオルでボクをくるみ、しっかりとだきかかえ、かあちゃんのところへつれていってくれた。とちゅうで「おまわりさん」や「ショーボー」のひとたちもあらわれたけど、おこられなかった。
 おうちまでくると、かあちゃんがいた。じいじもいた。みんなないていた。ボクはウソをついて、わるいことをしたのに、みんな、ないている。どうして?
 ごめんなさい。もうウソはつかないよ。《おわり》
(2018.8.16)