「政治不信」の根源
私は既成の政党、政治家を、市町村議会議員から国会議員(代議士)に至るまで、ほとんど信頼していない。なぜか。それは、彼らが本来の「政治」という意味を全く理解していないか、意図的に曲解しているからである。
「政治」とは、〈主権者が領土・人民を統治することであり、権力の行使・獲得・維持にかかわる現象のことである。権力とは、他人を支配し服従させる力、治者が被治者に服従を強要する力である。〉(「広辞苑」・岩波書店)
また、歴史を振り返れば明らかなように、主権者、領土、人民の状況は、その時代、時代によってめまぐるしく変化するのも、本来の「政治」の姿であろう。
大切なことは、現代の日本国において、主権者、治者は誰かという観点である。既成の政党、政治家は異口同音に、「いうまでもなく国民である」と答えるに違いない。しかし、彼ら以外の国民は誰ひとりとして「自分が主権者、治者である」などと思ってはいない。なぜか。民主主義の理念とはうらはらに、国民は既成の政党、政治家によって支配され、服従を強要されているのが現実だからである。
既成の政党、政治家は、国民の選挙によって、権力を獲得できると誤解している。選挙によって、自分が主権者、治者になったと曲解している。当選した議員が万歳を唱えて歓喜するのはなぜか。彼は自分のことを喜んでいるのである。「現代の日本においては、いうまでもなく国民が主権者、治者である」ことを理解していれば、明日から、自分は公僕(被治者)として国民から支配され、国民に服従しなければならない立場に立つのであり、スター気分で喜んでいられようはずがないではないか。
自民党・小泉総裁は、連日マスコミで報道される多種多様な犯罪を憂えて、「国民の安全な生活を保障する」と公約したが、私は信用しない。犯罪とは国民の基本的人権を侵す行為であり、まさに国民から委託された「権力」によって根絶しなければならないにもかかわらず、それを防止できなかった責任を感じていないからである。これまで発生した、多種、多様な犯罪にかかわる地域(選挙区)の該当議員、担当大臣、官僚が「責任を負って」謝罪、辞職した例を見たことがない。
選挙当日だけが「主権在民」であり、そのことだけが唯一「民主主義国家」の証であるような「政治」を信頼できるはずがないのである。
(2003.11.8)
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