梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

頭が高い、控えおろう!

 12月3日配信「朝日新聞デジタル」に《尾畠さん「当たり前のことをしただけ」流行語受賞辞退》という見出しの記事が載っている。その内容は以下の通りである。
 〈大分県日出町の尾畠春夫さん(79)が、自身の代名詞となった「スーパーボランティア」の流行語大賞受賞を辞退した。ノミネートが発表された先月7日、朝日新聞の取材に対し、「本人が『スーパーボランティア』なんて全然思っていない。当たり前のことをしただけ」と説明。「(大賞を)取ったとしても普段通りの尾畠春夫です」と話していた。
8月に山口県周防大島町で行方不明になった2歳男児を山中で発見。被災地などでの長年のボランティアの経歴もあり、一躍「時の人」となった。尾畠さんは、大分県や日出町などから相次いで表彰を受けた。先月は、児童虐待防止を訴える地元のウォーキングイベントに参加。別府市役所から県庁までの約14キロを、「こどもの幸せのために」と書いた手作りの旗を掲げながら歩いた。(興野優平)〉
 世間(マスコミ)は、尾畠氏のことを「スーパーボランティア」と称して讃えようとしたが、尾畠氏はそれを辞退(拒絶)した。当然のことだと私は思う。なぜなら、尾畠氏にとって「スーパーボランティア」などという名称は《汚名》に過ぎず、直ちに返上しなければならないからである。私たちは「当たり前のことをしただけ」と述べている尾畠氏の信条を理解しなければならない。彼は「普段通りの」ただの人であり、当たり前のことをしただけなのに、その行為を「ボランティア(活動)」と呼ばれ、その道の「プロ」だと評されることが耐えられない。自分のことを「時の人」として追いかけ、取材する暇があったら、まず他人の苦しみを共感し、助け合うことを「当たり前のこと」として行う風潮を作り出してみたらどうなのか、という(世間の人々やマスコミに対する)思いが、私にはひしひしと感じられる。
 前にも書いたが、尾畠春夫氏は、断じて「スーパーボランティア」(などという薄っぺらな流行語)ではなく、ニーチェのいう、まさに《超人》に値する人格者なのである。頭が高い、控えおろう!