梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

大衆演劇・劇団素描「劇団 新」(座長・龍千明)

【劇団 新】(座長・龍千明)〈平成20年7月公演・小岩湯宴ランド〉
 劇団紹介」によれば〈プロフィール 劇団新 東京大衆演劇劇場協会所属。昭和61(1986)年10月、龍千明が座長として「劇団炎」を旗揚げし、その後、平成5(1993)年1月1日、「劇団新」として再出発した。座長が1年半ゲスト時代に出演した劇団からいいところを吸収して「劇団新」のカラーが生まれた。座長のオリジナル狂言は100本以上もあり、演歌の歌詞に触発された現代物のお芝居も多数ある。 座長 龍千明 昭和35(1960)年5月15日生まれ。血液型AB型。山口県出身。「劇団新」座長。初舞台3歳。昭和61(1986)年10月、26歳で「劇団炎」を旗揚げし座長となる。5年間活動するが、一時休止。その後1年半ゲストとして各劇団に出演。そして平成5(1993)年1月1日、「劇団新」として再出発。龍新(りゅう・あらた) 平成3(1991)年3月2日生まれ。血液型B型。埼玉県出身。「劇団新」花形。初舞台0歳。龍千明座長の長男。将来「劇団新」を担う逸材で、これからの成長が楽しみ。美しい女形と派手で柔軟な立ち役で、人気上昇中。〉とある。また、キャッチフレーズは〈オリジナルの芝居にこだわる劇団。他では見られない座長オリジナルの狂言の数々。若手とベテランがうまく絡み合った舞台をじっくりとお楽しみください。〉であった。昼の部、芝居の外題は「兄弟鴉 瞼に浮かぶ母」、〈瞼の母〉の忠太郎が「新三郎」(花形・龍新)と名前を変え、新三郎には「弟」(子役・龍錦、好演)があったという筋書き。そのあたりがオリジナル狂言という所以だろうか。出来映えは「水準並み」、いかにも「関東風」という風情で、敵役の親分夫婦(龍千明、立花智鶴)の「やりとり」には「いい味」が出ていた。座長・龍千明の役柄は、敵役で三枚目だが、知る人ぞ知る「南道郎」のような芸風で、関東の客にはたまらない。この「実力」なら、デン助芝居もできるだろう。(秋よう子、立花智鶴と「しっかり」組めば、「大宮敏光」を超えられるかもしれない)。花形・龍新の「新三郎」(番場の忠太郎もどき)は、風貌の魅力は申し分ないのだが、「やるせなさ」「母恋しさ」「寂しさ」の風情を描出するのが「今一歩」、そのためには「ふっと力を抜く」技(肩の力を抜く、表情を曇らせる、うつむく、目をつぶる等々)を体得する必要があるだろう。「瞼の母」(番場の忠太郎)は、歌唱であれ、舞踊であれ、芝居であれ、「大衆演劇」の基礎・基本、バイブルといっても過言ではない。「こんなヤクザにだれがしたんでえぃ」といった「親にはぐれた子雀」の「甘ったれた」風情と「どうしようもない寂寥感(絶望感)」を、どうやって描出するか・・・、が問われることになる。早い話、龍新が、実父・龍千明から(実生活で)「はぐれれば」(捨てられれば)、いとも簡単にその「風情」を出すことができるわけ(事実、そうした経験のある役者は、舞台に立っただけでその「風情」を「地で」「見事に」描出している)なので、大切なことは、「もし、はぐれたら(捨てられたら)」という気持ち(心情)を想像することだと思う。来年1月には座長を襲名する由、ぜひとも課題の一つとして精進してもらいたい。夜の部、芝居の外題は「雪の夜話」、小諸の百姓兄弟の兄(秋よう子)が「鷹狩り」に来た三千石の大名に気に入られ、奉公。さらに、その娘(立花智鶴)にも気に入られて婿養子に。兄弟の父(座長・龍千明)も大名家に「舅」として迎えられたが、実際は、嫁からいびられて「下男」扱い、その「いびられ方」が天下一品、いびっている嫁(立花智鶴)の方が「吹き出してしまう」様子で、抱腹絶倒。筋書きとしては「悲劇」だが、景色としては「喜劇」という、まさに「至芸」そのものの舞台であった。芝居の「実力」(冴え)においては「関東随一」といっても過言ではないだろう。筋書きは、兄のために人を殺めて島流しにあった弟(花形・龍新)が登場、その諫言によって兄・兄嫁が「改心する」という大衆演劇の定番で、ハッピーエンド。「関東風」の「教科書」を観るような舞台ではあった。
(2008.7.8)