梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

大衆演劇・劇団素描「三河家劇団」(座長・三河家桃太郎)

【三河家劇団】(座長・三河家桃太郎)〈平成21年8月公演・湯ぱらだいす佐倉〉                                                                         この劇団の舞台は、昨年、九十九里太陽の里で見聞したが、劇場の雰囲気が騒々しく、芝居、舞踊ショーともに印象に残る特記事項はなかった。今回、劇場の観客数は二、三十人と少なめであったが、芝居の筋書きといい、登場人物といい、舞台の景色といい、まず第一に感じたことは「基礎・基本」を踏まえた「しっかりした芝居」ができる」劇団だということである。立ち位置、姿勢、目線、所作、口跡等々、どれ一つとっても、役者の呼吸が合っているのである。外題は「兄弟分」、月並みなタイトルで「時代人情剣劇」と銘打っていたが、その内容はもっと「深刻」で、「シリアス」、重厚な心理劇を観ているようで、「娯楽」「絵空事」的な風情とは無縁であったことに驚いた。「悪人」(敵役)が登場しない芝居なのである。上田屋一家には時次郎(美河賢太郎)、孫次郎(美河寛)という兄弟分がいた。その時次郎には、相思相愛の芸者・お吉(三河家諒)がおり、末は所帯を持とうと約束までしていたがのだが・・・。なぜか、今は「男やもめ」の親分(芸名不詳の男優・好演)の目にとまり、「後添い」にという話がまとまってしまった。通常なら、親分の「横恋慕」「ごり押し」で、子分の時次郎から、愛人・お吉を「取りあげる」という筋書きだが、この親分(柄は悪いが)、そんな野暮なことはしない。子分一人一人に、「意見」「感想」を求め、肝腎の時次郎からも「同意」を得たうえでの再婚なのであった。事の真相は、時次郎とお吉の他は、誰も知らない。悲劇は半年後、お吉が「出産」した時から始まった。「十月十日で子が生まれるのは世間の常識。半年でおれの子が生まれるわけがない。いったい誰の子だ!」と、親分はお吉に迫るが、頑として口を割らない。「怒り」「嫉妬」「心労」からか、親分は「日にち毎日、酒浸り」、誰が悪いわけでもない、すべてが運命のいたずらか。強いて言うなら「やくざ稼業の義理立て」か。いずれにせよ、結末は、「親子三人、川の字の生活」を夢見た時次郎・お吉「御両人の死」で終わらざるを得ない「不条理さ」が「えもいわれぬ景色」を醸し出して「チョン」となった。お見事!、生きていることの「空しさ」、「無情さ」、加えて「情死」の「愛しさ」「美しさ」を、これほどまでに描出できた舞台を、大衆演劇で見聞できるなんて望外の幸せであった。後でわかったことだが、この芝居に座長は登場しなかった。なるほど、座員だけで、これだけの芝居をやってのけてしまうなんて、半端な実力ではない。
 舞踊ショーで見せた、座長の立ち役(織田信長)はお見事、とりわけ腰に携えた「大刀」の扱いは「天下一品」、本身の名刀かと見間違うほどの出来映えであった。加えて、座長の妹・三河家諒の「筏流し」「哀愁列車」もお見事!。珠玉の舞台として私の脳裏に深く刻まれた次第である。
 夜の部、芝居の外題は「浅間の喜太郎」。大衆演劇の定番だが、親不孝してヤクザになった喜太郎(美河賢太郎)と、その母親(三河家諒)が「親子名乗り」をするまでの、経緯を(軽演劇風・喜劇仕立て)「忠実・誠実に」描出した舞台で、たいそう面白かった。観客数は二十人弱、しかし、頑固婆に扮した三河家諒の「一挙一動」に、大きな笑い声が沸き上がるといった雰囲気で、役者同士の呼吸もピッタリ、素晴らしい出来映えであったと私は思う。この劇場、今年から夜の部は「舞踊ショーのみ」となっていたが、「三河家劇団」は芝居を復活するとのこと、あくまでも大衆演劇の「本道」(観客の数に関わりなく、やるべきこと〈お客様の求めに応じること〉は「きっちりやる」という)を歩もうとする姿勢がすがすがしく、感動的であった。しばらくは、この劇団の舞台を見続けることになるだろう。
(2009.8.8)