梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「著作権」とは何か

 「著作権」とは何か。ブリタニカ百科事典によれば、〈文芸、学術、美術、音楽、劇に関する著作物を独占的に支配をして利益を受ける排他的権利のこと。特許権や商標権などとともに、人間の精神的な創作活動の所産であるため知的所有権または知的財産権とも呼ばれている。著作権は元来芸術家、出版者等を、著作物に対するあらゆる模倣から守る意図でもうけられた。著作権には、複製権、上演権と演奏権、放送権、有線送信権、口述権、展示権、上映権、貸与権、翻訳権、翻案権などが含まれる〉とある。しばしば話題になるのが、いわゆる「盗作」問題だが、私自身の独断と偏見によれば、芸術家や出版者にとって、自分の作物を「盗まれる」ほど「名誉なこと」はない。「天賦」という言葉があるように、芸術家、出版者の「才能」は当人の「努力」の程度にかかわりなく、生来備わった代物(素質))であると、私は確信する。つまり、「盗作」の被害に遭うような芸術家、出版者等は、思い上がってはいけない。自分の才能は「天から授かった」素質であって、決して「私物化」してはいけないことを肝銘すべきなのである。誰が、塵芥同然の非芸術作品を「盗もうとする」だろうか。盗まれることは「名誉」なことである。その「名誉」を「知的財産権」として守ろうとすることは、当の芸術家・出版者が、人間としては凡庸そのもの、煩悩にまみれた「俗物」以外の何者でもないことを「悲しく」「寂しく」物語っているのである。
 僭越ながら私自身のエピソードを紹介したい。小学校時代、図画工作の時間、国語で学習した「ダニエル・ブーン」(アメリカの開拓者?)の伝記を(クラス全体で)「紙芝居化」(共同作品化)する学習課題であったと思う。開拓地にやってきたブーンが、故郷を思いながら畑を耕している場面が印象に残ったので、その情景(ブーンが開墾した畑に直立、故郷の方に顔を向けている姿)を描いたところ、担任がその絵を取り上げてクラスメートに紹介した。いわく「体は正面を向いているのに、顔が故郷の方を向いているところが、とてもよい。ダニエル・ブーンの気持ちがよく描かれていますね」。そこまではよかったが、私より数倍もデッサン力のあるA君が、そっくりそのまま私の構図を「盗用」したのである。誰が見ても、その場面の絵としてはA君の作品の方が上、私の作物は「ボツ」になったのだが、そこは担任とて、教育者のプロ、「君の作品は、紙芝居の《表紙》に使わせてもらいます」だと・・・。私の「著作権」を認めてくれた、ということであろう。当時は、私も子ども、A君の「盗用」を「ずるい」と思わなくもなかったが、今なら違う。「よくぞ盗用してくれました」とお礼の言葉を言いたいほど、うれしいと思う。盗まれるだけの「知的財産」を私が持ち合わせていたことの方が「驚き」だからである。このことを言い換えれば、およそ「芸術」だとか「出版物」だとか「知的財産」とかいわれる代物は、もともと「虚業」の産物、それを生活の糧にしようとすることの方が間違いではないか、ということである。
 とはいうものの、件のA君、以後「美術」という専門分野を専攻、某大手出版社勤務を皮切りに、今では著名な大学教授として「自己の学究」(著作)、「後進の指導」などに専念、たいそう有為な人生を送っている。まさに御同慶の至りである。
 今、私自身も煩悩にまみれて、「知的廃棄物」の山を築いているわけだが、もしかしてその「塵芥」を「盗用」する人があったとしたら、至上の喜びを感じるだろう。もとより、私の「著作権」など、あろう筈がないからである。(2009.7.9)