梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

大衆演劇・劇団素描「満劇団」(座長・大日向きよみ)

【満劇団】(座長・大日向きよみ)〈平成20年4月公演・柏健康センターみのりの湯〉
 昼の部、芝居の外題は「命くれない」。筋書は、鳥羽・伏見の戦いで敗れた幕府方の侍(座長)が、船で逃走中漂流し、瀕死の状態で伊豆大島に流れ着く。土地の漁師兄・妹(飛鳥一美・堤みちや)に助けられ一命をとりとめたが、盲目となった。漁師は舟を売り五十両という大金を調達して、侍を京都(眼科の名医がいるという)に送り出す。侍、京都までやって来たが、盲目の身、気がつくと五十両は(スラれたものか、落としたものか)手元にはなかった。絶望して橋から身を投げようとしたとき、京都の人気芸者・高丸(大日向皐扇)に助けられる。高丸の援助で盲目は全快、今はある寺で「似顔絵」を描いていた。大島で助けられた恩人を思い出すためだという。一方、漁師の妹も京都にいた。(将来は夫婦約束をしていた)侍の後を追ってきたが、彼は、すでに高丸という芸者と熱い仲、しかたなく(名前を変え)寺の下女として住み込んでいたのだ。大島から、侍や妹を案じて、兄・漁師もやってきた。てっきり、侍と妹は所帯をもって幸せに暮らしていると思いきや、妹は下女の姿、侍の側にはピッタリと芸者・高丸が寄り添っている。兄は侍に「約束が違うではないか」と抗議する。驚愕する侍、「寺の下女が、まさか命の恩人の娘だったとは・・・」しかし、芸者・高丸も命の恩人であることに変わりない。「あちら立てれば、こちらが立たず・・・」進退窮まって自刃しようとしたが、朋輩・近藤(大日向満)に止められる。状況を察した漁師の兄と妹、すべてをあきらめて、帰路につく。その様子を見た近藤、高丸を説得。「どちらも、命の恩人、侍を思う気持ちに変わりはない。ここは一番、おまえが身を引いて、侍と娘の幸せを祈ってみてはどうか・・・」売り物・買い物の「芸者稼業」を続けてはいるけれど、初めて出会えた恋しいお人、「生まれる前から結ばれていた、そんな気がする紅の糸・・・」、舞台は高丸の愁嘆場となった。         実は、この芝居、私は「鹿島順一劇団」で見聞済み。侍(蛇々丸)、漁師親・娘(鹿島順一・春大吉)、芸者(春日舞子)、朋輩(花道あきら)という配役であった。(外題は「新橋情話」)
 双方の配役を比べると、登場人物の「誰に力点をおくか」という点で、かなり違う。
娘を男優(女形)が演じていることは共通しているが、「満劇団」では、座長が侍、太夫元が朋輩、「鹿島劇団」では、座長が漁師・親、春日舞子(座長の妻・劇団のNO.2)が芸者を演じた。ともに役者の「実力」は水準以上、甲乙つけがたい舞台ではあったが、眼目は「芸者の愁嘆」だと考えれば、座長・大日向きよみの「芸者」、大日向皐扇の「侍」、大日向満の「漁師」(親)、飛鳥一美の「朋輩」という配役だったら、どのような景色・風情になっただろうか。
夜の部、芝居の外題は「家なき子」、一言で言えば、江戸時代の「養護施設」の話、家(親)のない子どもたちを引き取って「飴売り」をさせている強欲婆が、実は子ども思いの篤志家であったという筋書。劇団の子役二人・「浪花の若旦那」「浪花の小姫ちゃん」(三歳男児・四歳女児)の活躍が見所の舞台であった。二人とも、まさに「プロ」、「大したもんだ」「どうすればああなるんだろう」と思ったが、座長の話によれば「スパルタで教える」とのこと、しかしその根底にはしっかりとした「家族の絆」が結ばれているに違いない。
 若座長・大日向皐扇の長男(三歳)は、「浪花の若旦那」という芸名で、舞踊ショーにも出演している。特に、若手男優三人(飛鳥一美・堤みちや・ウメショウジ)に混じって、彼なりに精一杯「踊る」姿は、感動的である。お手本を「見せること」、真似しようとする気持ちを育て「待つこと」によって、「直接」「舞台の上で」教育している劇団の方針が素晴らしい。
さて「満劇団」の特徴は「女系家族劇団」だが、そうであればこそ、若手男優三人の「役割」は重く、またその役割を十分に果たせる「実力」を備えていると、私は思う。飛鳥一美、芝居における若座長・大日向皐扇との「コンビ」が絶妙で、「才蔵役」に徹することが肝要。「舞踊」の実力も半端ではない。「飲んだくれ爺」の「面踊り」は至芸の域に達している。股旅姿の凛々しさ、華麗な太刀さばき、男の色香を漂わせる風情に磨きをかければ、舞台の景色は一変するだろう。「瞼の母」「俵星玄蕃」「安宅の松風」の舞姿を観たい。堤みちや、鮮やかな扇芸、無表情に徹したままのコミックな所作が魅力的。「竹とんぼ」「ころがる石」「冬桜」などに加えて、若衆姿の舞踊を観てみたい。ウメ・ショウジ、「表情」「目線」で踊れる「技」は絶品、藤山寛美「もどき」の風情に自信を持つべきだ。「浪花花」「人生劇場」「無法松の一生」などを「自分流」に踊れば「至芸」に近づくのではないか。三者三様、いずれも「個性的」な「味」をもっているので、それらが結実化すれば、劇団の「実力」は盤石なものになるだろう。座長、若座長の「礎」(女性的な艶やかさの引き立て役)となりながら、相互の「個性」を生かし合うこと(男性独自の魅力を発揮し合うこと、例えば殺陣、トンボ、居合い等々)、それが男優陣三人の大きな役割ではないだろうか。
(2008.4.10)