梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

大衆演劇・幕間閑話・名曲「ダンディ気質」の歌い手《模様》

 昭和(戦後)の名曲に、「ダンディ気質」という作物がある。リリースは昭和23年、作詞・清水みのる、作曲・大久保徳二郎、歌手・田端義夫、ということで、歌詞は以下の通りである。〈花のキャバレーで 始めて逢(お)うて 今宵ゆるした 二人のこころ こんな男じゃ なかった俺が 胸も灼きつく この思い ダンディ気質(かたぎ) 粋なもの
唄と踊りの ネオンの蔭で 切った啖呵(たんか)も あの娘のためさ 心一すじ 俺らの胸に 縋(すが)る純情が 離さりょか ダンディ気質 粋なもの 赤いグラスに なみなみついだ 酒に酔うても 心は酔わぬ 渡る世間を 狭(せば)めて拗(す)ねて どこにこの身の 春がある ダンディ気質 粋なもの〉。田端義夫といえば「わかれ船」「かえり船」「玄海ブルース」「大利根月夜」が有名だが、この「ダンディ気質」は、イントロを聞くだけで、心うきうき、鋭気・覇気・元気が湧き上がってくる代物である。「ダンディ&気質」というタイトルを筆頭に、以下の歌詞も、キャバレー、ネオン、グラスといった「洋風」の景色に対して、「始めて逢うて」、「酒に酔うても」といった「和風」(文語調)の心象が入り混じり、昭和20年代の「歓楽街」の風情を彷彿とさせる。戦後日本の活気に溢れた「和洋折衷」歌謡の典型的な作物であろう。今でも、(ユーチューブで)、往時の田端義夫の《粋な》歌声を十分に堪能できるとは何と幸せであろうか。私がこの歌を初めて聞いたのは、松竹映画「東京キッド」(監督・斎藤寅次郎、主演・美空ひばり、共演・川田晴久、堺駿二、花菱アチャコ、榎本健一・1950年)の中であった。文字通り、「花のキャバレー」(唄と踊りのネオン街)を流し歩く演歌師・川田晴久が「ダンディ気質」を歌い出すと、それを聞いた占い師・榎本健一が「憑かれたように」踊り出す場面は抱腹絶倒、まさに、心うきうき、鋭気・覇気・元気を湧き上がらせることの「証し」であった。さらに、もう一人、この名曲を見事に歌い上げた歌手にアイ・ジョージがいる。アイ・ジョージもまた「流し」出身、(最近発売されたテイチクのCD全集「アイ・ジョージ ベストコレクション」によれば)「硝子のジョニー」「赤いグラス」「道頓堀左岸」などの持ち歌から、「ラ・マラゲーニア」「ベサメ・ムーチョ」「キサス・キサス」などの十八番に加えて、「荒城の月」「城ヶ島の雨」「叱られて」「うぐいすの夢」などの歌曲・童謡、「戦友」「麦と兵隊」「戦友の遺骨を抱いて」などの軍歌、「小諸馬子唄」「佐渡おけさ」などの日本民謡、「ともしび」「カチューシャ」「トロイカ」などのロシア民謡、さらには「スワニー」「聖者の行進」「ムーン・リバー」などなどのスタンダード・ナンバーに至るまで、そのレパートリーは広く、歌唱力も群を抜いている。その彼が、おそらくライブ・コンサートの中で、ほんの余興として歌った「ダンディ気質」の一節は珠玉の逸品。ギターの弾き語りで「花のキャバレーで 始めて逢(お)うて 今宵ゆるした 二人のこころこんな男じゃ なかった俺が 胸も灼きつく この思い ダンディ気質(かたぎ) 粋なもの」と弾むように明るく歌い終えると、ナント、口三味線で「スチャラカチャンチャン・スチャラカチャン・・・」、その声音の「やるせない」「投げやりな」風情こそが、この歌の《真髄》とでも言えようか、彼(および私たち)の人生が一点に凝縮されているようで、私の(感動の)涙は止まらなかった。(2014.3.24)

ダンディ気質 / 田端義夫