梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

脱テレビ宣言・検証・《おそるべきCM》

 場所は、ある高層マンションの一室。幼い姉(5歳)と弟(4歳)がテレビを観ながら留守番をしていた。そこに映し出された映像は、たまらなく魅力的であった。なぜなら、アニメではなく実写の人間が、すいすいと、自由自在に(まるでハヤブサのように)都会の空を飛び回っていたからである。「アッ、飛び上がった!エッ、宙返り?」その人間(たち)は、瞬く間にビルの屋上に舞い上がったかと思うと、次々と高層ビルを渡り歩き、やがて見事に着地する。弟いわく「ボクもやりたい」。姉こたえて「ダメダメ。あんなことできるわけないよ」弟「できるさ!タクヤだって、クサナギくんだって、飛んでいたよ」姉「あれはウソなの!」弟「ウソじゃないよ。アニメじゃないもん。テレビはウソつかない!」姉「じゃあ、やってみれば」かくて、翌日の新聞には「高層マンションから男児転落死 幼い姉弟留守番中」という見出しの記事が載ることになった。以上は、私の「作り話」に過ぎないが、昨今のテレビ映像には「衝撃的」「扇情的」「露悪的」「営利的」な場面が溢れていることを、私は見過ごすことができない。テレビ産業従事者の面々は、みずから製造・販売している商品(番組)を、かけがえのない愛児たち(次世代の後継者)に、堂々と胸を張って見せることができるのだろうか。「視聴率」だけでステータスが左右される虚妄な業界の中で、「面白ければよい」「売れればよい」「驚かせればよい」といった物差しを盲信、結果として、子どもたちの「感性」「判断力」を鈍麻、消耗させている罪の深さは途方もないことを思い知るべきである。とりあえず言っておく。「ソフトバンク」、「眼鏡市場」のCM製作担当者、それを放映しているテレビ局担当者の方々、あなたがたが手掛けた「誇大妄想」「荒唐無稽」「ウソ八百」の映像を、純粋無垢、いたいけな子どもたちが「食い入るように」観ていますよ。その結果責任をとる覚悟はできていますか。間違っても、「CMと事故の間に因果関係は認められない」とか「それ以前に両親の保護責任が問われなければならない」などといった詭弁を弄さぬよう、お願いいたします。(2011.1.30)