不死・《3》
『久美子さん、僕はまだあなたが四つの頃、下宿をしていた学生です。もうお忘れでしょうね。でも僕は、久美子さんが大きくなって、こんな拙い文でも読んで頂けると信じています。
久美子さん、僕はあなたの親でも、師でもありません。故にあなたに忠告する、助言する資格も必要もありません。ただ理性を捨ててお願いします。どうか読んでください。
人間には心があります。そして一番大切なのは心なのです。心は人間のすべてを支配するのです。“心”それ万物の中で人間だけが所有する、最も尊いものなのです。
“力”それも心を言うのです。腕力ではありません。暴力ではありません。一番強いのが心の力なのです。
人間は、ほとんど誰もが、若い時に苦しみを知り、そして死を思いつめるのです。それは、その時の人間こそ、真の正しい人間であるからだと思います。その苦しみぬいた若人が、たとえそのまま死んだとしても、僕は少しも悔いません。それは、その人間が最後まで、正しい、美しい人間であったと断言できるからです。でも、その苦しみに押しつぶされている人間は、まだ力を知らないのです。人間は心の力で心に生きなければなりません。心がその人間の本当の姿なのです。体裁、風采、それらは人間の姿の一部さえ、あらわすことはできないのです。“他人への恥”それもまた、人間にとって,全く無意味なものなのです。恥をおそれるのは、人間が弱いからです。真の心の力を知らないからです。“自分自身への恥”それは尊いものです。自分自身が、自分自身の心で自分を考えた時、それが本当の自分の姿なのです。
人は貧富では区別できません。生まれた時、すべて平等です。生きている時、それも平等です。そして真の力でこの世界を最後まで生き抜いた人こそ、一番尊い人なのです。
僕はあなたをよく知っています。いつか二人で美しい奥山の、渓谷に行ったことがあります。いえ、いつかではありません。僕の自殺する前の日でしょう。あなたがこれを読まれる時、僕はもうこの大自然の土と化しているのです。
そうです。昨日です。あなたは、花嫁人形の歌を、歌ってくれました。人間は素晴らしい楽しいことばかりと言いました。お花屋さんになりたいと言いました。でも、僕はいつかあなたが、苦しみ押しつぶされた時、必ずこれを読んで、力強く生き抜いてくださることを信じます。僕はこれから自殺をします。僕はもう、自分自身に生きることができなくなりました。力を知り尽くし、もうこれ以上の力を出せないことを知りました。僕は理屈を言います。でも自分の心を裏切ることはできません。それ故に自殺をするのです。では、あなたが、人間として正しく強く、心に生きることを希望してペンをおきます』
少女は、読み終わって茫然とした。
彼女は翌日、あの美しい山あいへ行った。そして、花嫁人形の歌を静かに歌った。いつまでも川の水をながめていた。おされ、つぶされ、ひしめき合いながら流れる水を感じながら。
〈了〉
(1960.10.10 『炎』第21号・豊多摩高校文芸部)
このブログへのコメントはmuragonユーザー限定です。