梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

大衆演劇・劇団素描「玄海竜二一座」(座長・玄海竜二)

【玄海竜二一座】(座長・玄海竜二)・〈平成22年8月公演・大阪朝日劇場〉
案内チラシには「待ってました!朝日劇場に初お目見え!玄海竜二」という文字が刷り込まれている。斯界日本一の劇場で、九州随一の旅役者が演じる舞台はさぞかし充実しているだろうと、胸躍らせて赴いた。芝居の外題は「男十三夜」。聞けば玄海竜二が十五歳で座長を襲名した折りの「出世狂言」とやら、なるほど面白い。「弐場」の構成だが、まず冒頭で、町内の大工が血相変えて捜し物、一朱の金を落としたという。居合わせた知り合いたちも、あちこち手分けして捜したが見つからない。そこへ十手持ちの親分(大島竜志)も登場して大工にいわく「一朱といえば大金だ。ところでいつ無くしたんだ?」。大工答えて「へえ、三日前なんで・・・」。一同唖然として退散といった景色が何とも面白かった。この場面、芝居の本筋とは無縁、単なる「味付け」に過ぎないが、第弐場(一年後)の冒頭でも再現される。十手持ちの親分登場して大工にいわく「一朱といえば大金だ。いったいいつ無くしたんだ」「へえ、一年前なんで・・・」というやりとりで駄目を押す。客を舞台に惹きつけて厭きさせない、気の利いた演出が見事だと思う。ところで、この大工を演じた役者は誰だろうか。たぶん、菊池川真の助だと思われるが、そんな「ちょい役」で存在感を示すことができる「実力」は半端ではない。さて、本筋は、料亭の仲居頭・お蔦(藤乃かな)とスリ(座長・玄海竜二)の物語。お蔦には身持ちの悪い亭主(三代目・片岡長次郎)がつきまとい、働きもせず金の無心にやってくる。今日も今日とて、「ケガの治療に五両要る」とのこと、お蔦はやむなく店の主人から五両調達、亭主に渡そうとしているところにスリと弟分(長谷川京也)が登場、いきなりその金をひったくる。お蔦、あわてて「返して・・・」と交渉するが、金はどこにもない。二人で揉めているところに
十手持ちの親分登場。弟分に渡っていた金を取り戻し、スリを捕縛した。金を返してもらったお蔦、「親分、お金も戻ったことだし、今回は見逃してあげて」と言いつつ、スリに諫言する。「どうか、もう悪いことをしないで・・・」、泣きながら自分の簪を差し出し「これを戒めにして、真面目に働いてください」。瞑目して聞いていたスリ、心底から「改心」した。見るからに「性悪」「傍若無人」な風情が、次第次第に変容、真人間の移り変わっていく様子を、玄海竜二は「所作」「表情」だけで、見事に「演じきった」。なるほど、彼は斯界屈指の「旅役者」であることを「掛け値なく」納得した次第である。その姿を見て、親分も納得したか。「ホラ、あれを見ろ。きれいなお月さまじゃないか・・・」などと言いながら、それとなく縄をほどいてスリを逃がしてしまう・・・、といった按配で、舞台模様はまさに「一級品の出来栄え」であった。「弐場」、スリは堅気(荷物を背負った行商人)の姿で再登場、大恩あるお蔦に会おうと店先を窺う。今は店主に見初められて女将となったお蔦であったが、元の亭主は未だに性懲りもなくつきまとい、五十両もの大金をせびる始末。その様子を見聞したスリ、元の亭主を追い返そうと「睨み合い」、背負った荷物を下に置いた途端に形相が変わった。悪党時代の風情に戻って、元の亭主と渡り合う、その景色は迫力満点、匕首を奪い合う立ち回りは見応えがあった。それもそのはず、相手は名にし負う三代目・片岡長次郎、その風貌からして元の亭主は「はまり役」、九州大衆演劇の真髄を十二分に堪能できたのであった。玄海竜二は現在53歳(?)、その舞台姿(男の魅力)は、どこか(私が敬愛する)二代目・鹿島順一(現・甲斐文太)に似ているが、はたして両者に「つながり」ありや、なしや・・・?そんな思いを巡らしつつ帰路についた次第である。
(2010.8.10)