梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

大衆演劇・劇団素描「劇団錦」(座長・錦はやと)

【劇団錦】(座長・錦はやと)〈平成21年5月公演・佐倉湯ぱらだいす〉                                         ここの劇場は、「客の入り」が「不安定」という特徴がある。付属施設は「ホテル」「プール」等で、どちらかといえば「スポーツクラブ」風、およそ「下町の大衆演劇 とは無縁の空気が漂っている。だがしかし、ひとたび「劇団朱雀」「橘菊太郎劇団」「南條隆とスーパー兄弟」といった《人気劇団》の興行となると、多くのファンが(泊まりがけで)殺到するという次第。この時とばかり、劇場は「入場料金」を(弁当付きで)倍増した。ところが、これがまた不評の極み、一気に「客足が途絶える」という憂き目にあった模様で、今日の座長の話。「それでも、土日、祝日はまだいいんです。どうにもならんのが平日。どうか皆さん、平日も観に来てください。私たちが来たのは三年ぶり、次に来るのは三年後かも知れません。その時まで、皆さん、生きていられる自信がありますか。もう二度とお目にかかれるかどうかわかりません。どうか、どうか、明日も、明後日も足を運んでください」。加えて、今月から平日・夜の部は「舞踊ショーのみ」ということであった。「打つ手打つ手が裏目」に出て、「先細り」は避けられない感じがしたが、かつて「見海堂駿劇団」が、たった8人の観客を前に、「喜劇・権三と助十」を堂々と演じたのはこの舞台、その伝統も「風前の灯」というわけか・・・。
 芝居の外題は昼の部「へちまの花」。田舎娘(座長・錦はやと)を見初めた東京の画学生(錦天道)が、娘の兄(錦ゆき丸)、画学生の姉(錦みやび)、出入りの植木屋(錦力也)と「すったもんだ」を繰り返しながら、最後は「結ばれる」という《関西風》のドタバタ喜劇であった。前半、マイクの音響が「耳をつんざく」ほどの大きさで、「芝居を楽しむ」余裕はなかったが、後半からは「落ち着きを取り戻し」、本来の舞台を描出できたように思う。「実力」は、「水準」を超えていると思われるので、無理に「楽屋ネタ」のギャグで笑わせる必要はない。錦力也の「とぼけた味」を、どこまで光らせられるか、錦ゆき丸の「演技力」をどこまで高められるか、今後が楽しみな舞台であった。夜の部の外題は「身代わりヤクザ」(子役・「キューティーりか」登場の時代人情劇)。前半は「見送る親子」(南條光貴劇団)のヤクザ版と、後半は「主人公が身代わりになってお縄になる」といったお決まりの筋書で、出来栄えは「水準並み」。老爺役になった翼ゆうきの「演技力」が光っていた。
 舞踊ショーでは、座長を筆頭に、錦天道の「立ち役」(扇子遣い)、錦ゆき丸の「女形」の艶姿は「お見事」、大いに満足して帰路についた次第である。
(2009.5.10)