梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

生活詩人・山村暮鳥・《山村暮鳥の生活・4》

梨野礫

 眞實に生きようとするもの

 妻よ
お前はジァン・フランソワ・ミレーを知つてゐるだらう
それを本で読んだことがあつたらう
あの画描きのミレーのことだ
自分達はよく彼のことをはなした
彼がいかにまづしくあつたかをはなしあつては胸を一ぱいにし
自分達の境遇をなぐさめ
凡そ地上に芽ぶいたものは
そして一きは高く蒼天をめがけるものは草木ですら
みんなかうだと
彼によつて自分達の仕事はいまもはげまされるのだが
それでも二人はいくたび熱いなみだをふいたことか
ほんとに彼のびんぼうは酷かつた
彼等のことをおもへば
自分達のびんぼうやくるしみなどはなんでもないと言はねばならない

こゝは雪もみぞれもふらない国だ
どこへいつても
大きな蜜柑がいろづいてぶらぶら枝をたわめてゐる
こんなところへきて
この南方のあたゝかい海のほとりで
避寒してゐる自分達
避寒してゐるなどときいたら
なんにもしらないひとびとはなんといふだらう
なんとでもいはしておけ
なんとでもおもはしておけ
とはいへ
このさんたんたるせいくわつはどうだ
あの喀血にひきつゞくこのまづしさとくるしみ
このさんたんたるせいくわつを見ろ
雨がふればどこに棲まはう
風がふけばどこに寝よう
あゝかうして広い野原をさまよふ小鳥のやうな自分達
自分はいゝ
自分だけならいゝ
またどんなことでもそれが妻や子どものためならばしのばう
よろこんでしのばう
けれど世にでたばかりのあかんぼの上にまで襲ひかゝるこのあらし
これはどうだ

いかにもよい日和《ひより》の中では
そしてなにふそくなくくらせるときには
どんな立派なことでも言へる
どんな立派なことでも言へ
それでよかつた
だがいま自分は野獣にかへる
これぐらいのくるしみがなんだ
自分はいゝ
自分を打て
自分の上にのしかかれ
愛するものよ
おまへたちをおもへば自分は人間をわすれる
そして荒野の獣になる

あゝ、自分は感謝する
この人間としてのくるしみによつて
このくるしみこそ
神の大きな愛だといまは知るから
きたれ
それでも巣はみつかつた
やつと身をいれるにたりるだけの四畳半と三畳との小さな巣
梢にゆれてゐるやうな巣だ
あのうれしさをおぼえてゐるか
ひさしぶりでのんびりと
つかれた機虫《ばつた》のやうに足を伸ばした冷いうすいあの垢染みたかしぶとんの上を
うすぐらい豆粒のやうな五燭電燈の光のしたでとぢた眼睫を
それでもぐつすりとよくねたあの夜を
だがまた朝となり
めざめればめのまへには雲のやうに湧きあがつて
自分達をまつてゐるくるしみ
大鷲のやうに爪を研ぎ
つかみかゝり
またかぶりつき
たうとう自分達は最後の銅銭一つすらのこさず掻きさらはれて既に十日余
いまははや一枚の葉書も買へず
手紙は書いても出すことができず
ひげはのび
からだはあかじみた
妻よお前の薬もかへない
玲子よお父さんがおまへにはお伽噺でもしてきかせよう
やりたいけれどやることのできない
これはお菓子のかはりだ
いつしか空つぽになつてゐる瓶と甕
味噌も油もまつたくつきてゐるけれど
而《しか》もまだ米櫃《こめびつ》のそこには穀粒がちらばつてゐる
その穀粒をみると
おのづからあはさる此の手だ
それでいのちはつながつてゐるのだ
糸のやうにもほそぼそと
それもなかつたら
自分達はもうとうにむつまじく枕を一列にならべて
この生きのくるしみから
やすらかにゆるされてゐたんだ
おゝ妻よ
それから死んだおぢいさんよ
なにもかもこれなんです
恨んではくださいますな
(以下略)
(『梢の巣』より)

 この「真実に生きようとするもの」という詩には、暮鳥の苦しい時の生活があからさまに何の偽りもなく描かれている。

 人は暮鳥の生活が如何に苦しかったかを知ることができるであろう。生活は芸術であり、芸術は生活であると言った暮鳥にとって詩は真実の告白なのである。

 大正8年5月、自己の詩の行き詰まりを感じていた暮鳥は京都・奈良地方に2週間ばかり旅行をした。体の弱っていた暮鳥にとっては肉体的にはマイナスであったが、精神的には非常な収穫を得たのである。古の先人達の息吹に触れて来たのである。7月に茨城の大貫海岸に住んだ。貧しいながらの温かい愛に満ちた生活を始めたのである。暮鳥にとって海辺に近い大きな自然を知ることのできる生活は、大きな慰めとなったのである。また病の静養にもなった。

 “随分長いシケでしたね。ほとんど二週間それがために自分は瀕死的苦痛の中に、やっと生きてゐた。そしてけふやっと起きてみた。まるで骨のない体のようだ。(中略)自分が喀血の一過年も此の二十八日だ。それだからでもあるまいが、自分の危険はまだ通過していない。(中略)ぴんぴんたっしゃになって、飲み廻ってみたいと思ふ。死にかけた病者の愚痴ですね。(中略)喀血が少しあやしい色を帯びてきた。けさからのシャックリはまだやまない。ではまた横になります。”

(大正8年9月 本井蘭羊宛書簡)

 一時、健康も良くなったようであったが事実はそうではなかった。この書簡には後の暮鳥の生活が予言されているようではないか。

(豊多摩高等学校文芸部研究レポート・1962.10.10

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