生活詩人・山村暮鳥・《暮鳥をとりまく詩人群・民衆詩人と山村暮鳥・2》
百田宗治は詩集『何もない庭』において、今までの詩風から、転じてというよりも、深く掘り下げたというほうが適当なように、人生的なわびしさ、庶民的なわびしさに沈んで、淡々とした詩情を添えながら、貧者への共感と社会への懐疑を感じている。
味噌汁
朝は味噌汁をすするんだとよ
くらいうちの門さきを過ぎる納豆屋を
よびとめて
朝はどの家でも味噌汁をすするんだとよ
・・・どの家でも
鍛冶屋のように火を閃かして
くらがりの中で味噌汁をすするんだとよ
(「何もない庭」より)
生れてくるもののために
子よ 貪欲なるなかれ
子よ 素直なれ
貪欲はこの世にて嫌はるる最大のものにて
素直なる汝みづからを
仕合せにするなり
(「冬花帖」より)
彼は以後、新詩精神運動「詩と評論」の影響を受けて、詩風に新鮮さを吹き込み技巧的になっていった。その代表的なものに、詩集『ぱいぷの中の家族』がある。
『何もない庭』における、彼の詩は、内面的律格を欠いてもいなければ、散文に堕してもいない、そしてそれは、思想の概念的傾向に流れることなくして、彼の詩人としての資質を大いに発揮している。
山村暮鳥に次のような詩がある。
貧者の詩
みよ、そのぼろを
此のうつくしい冬の飾りを
それから赤い鼻尖を
人間が意志的になると
霜はまっ白だ
指のちぎれさうな此の何ともいへないいみじさ
ふゆを愛せと
そのぼろの其処此処から
肉体が世界をのぞいている
暮鳥は、民衆派詩人との直接的な交わりはうすく、「聖三凌玻璃」当時は、さかんに彼等から攻撃されたほどである。しかし「風は草木にささやいた」以後には民衆詩派の影響が明らかであり「貧者の詩」もその性格の顕著なものである。しかし百田宗治のそれとは、本質的に違っている。それは暮鳥の社会的感覚、現実意識というものが、彼の宗教性の為に、大きく民衆派のそれとかけはなれている為である。我々が、百田宗治の世界から常に現実社会に生活する、労働する激しくきびしい呼吸を感じるが、暮鳥がたとえ、労働者について歌った詩であろうとも、鋭い現実感を感じ得ず、何か奥深い宗教的な、彼自身の闇になかに吸い込まれていくような感じを受けることは、否定できないのである。
(豊多摩高等学校文芸部研究レポート・1962.10.10)
暮鳥をとりまく詩人群・《民衆詩人と山村暮鳥》・2 - 生活詩人 山村暮鳥
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