梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

新型コロナウィルス感染・《安倍内閣の「無能・無策」・2》

 私は、ほぼ1か月半余り前(4月9日)に「終息へのシナリオ」を以下のように綴った。
〈「東京新聞」4月9日付け朝刊(2面)に《中国・武漢市での新型コロナの経過》という表が載っている。それによると〈1月23日に事実上の封鎖措置、28日に市内の死者が100人超え、2月5日に市内の感染者が1万人超え、12日に市内の死者が1000人超え、3月18日に封鎖以降初めて新たな感染者がゼロに、4月8日に封鎖を解除〉という経過を辿ったことがわかる。
 これを日本の場合に(乱暴に)当てはめると、4月8日に国内の死者が100人超え、ほぼ10日後の4月18日頃、感染者が1万人を超え、その1週間後の25日頃、死者が1000人超え、その1か月後の5月25日頃、新たな感染者がゼロになり、その半月後の6月10日頃、《終息》となる。〉
 どうやら、私のシナリオは「当たらずとも遠からず」といった案配になりそうである・それにしても、この間(2月以降、現在まで)、安倍内閣の「無能・無策」ぶりには、呆れて「怒る気も起こらない」というのが、国民大半の心情であろう。
 「全国一斉休校」「自粛要請」「イベント中止」「非常事態宣言」等々は、おおむね「的外れ」「後手後手」に終始し、《海外からの入国制限に油断があったため》4月以降の感染拡大を抑えることができなかった。国民は「症状」が現れても、迅速・的確な医療サービスを受けられず、不安が先立ち、医療に対する信頼感も喪失した。政府の情報開示が極めて不十分なため、国民は「自分で自分を守る」ほか、術がなかった。まさに「戦後最大の危機感」を味あわされたのである。
 終わってみれば「大したことはなかった」というのが事実であるかもしれない。もし、感染者1万6千人余り、死者8百人余りというという現状が「事実」だとすれば、例年の季節性インフルエンザの感染者1千万人、死者3千~1万人という数値に比べて、桁外れの少なさではないか。要は、「新型コロナウィルス感染症」の《予防法》《治療法》が確立していなかった、ということだけではなかったのか。
 いずれにせよ、すでに「終わった」事実を《検証》し、何が真実で、何がデマ(虚偽)であったかを明らかにしなければならないが、政府はもとより、専門家、マスメディアの面々にそれを期待することはできない。小賢しい「弁解」を貫くだけだろう。その《詭弁》《ごまかし》《情報操作》の方が、ウィルスよりもよっぽど怖いのである。だから、またまた国民は自分で、その検証を行わなければならない。
(2020.5.25)