梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「自閉症 治癒への道」解読・6・《第3章 自閉的状態の分析・・・その方法と概念》

《第3章 自閉的状態の分析・・・その方法と概念》
◎要約
【動物と人における葛藤行動】
・動物における動因の葛藤の研究は、「ディスプレイ」と呼ばれる行動や「情動の表出」、それに関連した行動の解釈を始めたときからスタートした。
・動物行動学者達が「ディスプレイ」(「見せびらかし」)と呼ぶ行動は、たいていは同種の動物の間で信号として機能しており、内的な葛藤にその動因がある。
・対人的な回避、探索的接近などに用いられる「主要機能系」という表現の中の「機能」とは、動物やヒトの行動、行動下にある機構はすべて「生存のための装備」の一部分である、という事実をいっている。(例えば、内臓器官のすべてが健全に機能しなければ動物はうまく生きていけないのと、まったく同じである)
・自閉症あるいはその他人間の行動についてはどんな形のものにしても、この適応性という事実を中心にすえて見て行かなければ科学的に理解すること(統御すること)は不可能である。
・以下、行動の適応の例を紹介する。*ミヤコドリはムラサキイガイの貝殻を突いて開け、中の身を削り取り呑み込む技術を持っている。*リスはしばみの実をかじって割り中身を噛み、呑み込む技術をもっている。*イトヨのオスは「巣」を作りメスの生んだ卵を世話し、巣の天井から新鮮な水を送り込む技術をもっている。
・どんな動物の行動にもその他の生理学的機能と同様、生存と生殖を成功させるのに「必要」なことと、実際に「なされる」こととの密接な相互関係、「十分適合」が存在している。
・「生命活動は綱渡りのようなものである。成功に導く道はただ一つの非常に狭い道であるが、失敗に導く道は無限に数限りなくある」
・この行動は、たった一つの非常に狭い意味での「非無作為的」なものであり、どんな動物にもあてはまり、まったく同様に人間の行動についてもあてはまる。
・人間の赤ちゃんや子どもの正常な対人的行動、探索行動、回避行動の多種多様な型も自然淘汰の過程のもとに長い進化の歴史の中で発生してきた複雑な適応の系なのであり、これまでのところも現在も、子ども一人一人の生存に重大な意味をもっている。
・現代のような変化の激しい世界においては、子どもの行動は「あらゆる物事」に対してうまく適応しているわけではない。(自閉症とは、部分的には、子どもの適応する能力を過度に引きのばそうとするような新しい反応である)
・しかしどんな生物でも、生存しているという事実そのものが、その生命のすべての過程が「適切に」(外界から課せられる要求に適合したやり方で)機能していることを意味する。それが、基本的な「生命の事実」でる。
・動物は、一時に複数の主要行動系に従うことはない。(飢えているときでも、捕食者に脅かされれば食べることをやめ、対捕食者防御を行う)人は、一時に二つ以上のことをやるが、最もうまく機能できるのは「一時に一事」(一点集中)の時である。
《動因の葛藤》
・ただし、すべての行動が「一時に一事」ではなく、「両価的な」(どっちつかず)の行動を示す場合がある。その単純な実例は、テリトリー(守備範囲)が隣り合っている場面の、(オス同士の)闘争あるいは「敵対」という行動である。
⑴テリトリー争いの場合、出会った二羽のオスの行動は、①相手から生ずる刺激、②出会いの生じた場所からくる刺激、に規定される。オスAがAのテリトリーでオスBに出会った場合、AはBを攻撃、Bは逃げる。逆にBのテリトリーで出会った場合には、Bが攻撃、Aは逃げる。つまり同一の相手に対し闘うか逃げるかのどちらに反応するかは、そのオスがホームグラウンド(自分のテリトリー)にいるかいないかによって決まる。しかし、それぞれのテリトリーの境界領域で出会った時、二羽のオスはともに攻撃もしないし逃げもしない。双方とも「攻撃的ディスプレイ」(威嚇の信号で敵を追い払うか食い止める)を見せる。境界ではそれぞれのオスが「動因の葛藤状態」(攻撃とひきこもりの間の葛藤)のあるという推論が導き出される。
⑵境界でのディスプレイでは、それと他の行動とが「交互に」連続的にす早く現れ、そこに見られる行動の系は、大部分完全または不完全な攻撃、あるいは完全またはためらいがちなひきこもりのいずれかである。(食餌、巣造りなどといった活動はほとんど見られない)動物には、一つの型の行動を一度始めたらそれを持続しようとする傾向があり、一つの型の行動から他の型への行動へとす早く切り替えることは避けようとする。したがって、このす早い入れ替わり自体も、二個の動物それぞれの内的な攻撃の系とひきこもりの系の同時的な活性化であり、しかもどちらの系も優勢になりきっていないことを示している。⑶ディスプレイの「形態」を分析すると、どの系が活性化されているかがわかることがある。オスのカモメは侵入してきた相手に向かって走り寄り「直立威嚇姿勢」をとるが、侵入者が後へ引かずにそのオスのテリトリーに立っていると、わきを向いて首の羽毛を寝かせ、首を少し後ろに引く(逃走行動の要素)という、二つの行動系(攻撃と回避)の構成要素が、モザイク状に入り混じった形の姿勢をとる。また、テリトリーをもつ鳥類や魚類などには「二連振り子」と呼ばれる行動がある。向かい合った二個の敵対者の一方がほんのちょっと前へ突進し、それによって一方は引き下がる。しかし前への突進は防御側を攻撃に転じさせるほど怒らせる前に止まる。それから役が交替するが、これもまた一瞬のことである。その結果は「モビール」そっくりに見える。二匹のオスは「行動的な」針金で結ばれていてゆらゆら揺れ動いているにもかかわらず、両方ともだいたい初めと同じところにとどまっている。
・それぞれの種がそれぞれ数多くのさまざまな「両価的」な姿勢を持ち合わせており、そのうちのどれが実際に示されるかは、①二つの系の喚起の相対的レベル、②喚起の絶対的レベル(葛藤の全体的強さ)、③環境的な背景で決まる。
・人間(われわれ自身)もときおりは二元的な葛藤する動因の影響下にふるまうことがある(例えば、怖い動物とか人とかに近づきたいと思いながら実際にはなかなか近づけないでいたりする)という事実を理解することが重要である。


【感想】 
ここまでに(これからも)述べられている内容は、ほとんどが動物に関する事象であるが、人間もまた動物であることをわすれてはなるまい。つまり、件の動物に関する事象は、そのまま私たち、人間にも「当てはまる」ということを理解しなければならない。換言すれば、動物に関して述べられた様々な事象を、人間に「置き換えて」検討・検証することが大切である、と私は思う。例えば、ミヤコドリやリスに見られる食餌の技術、イトヨのオスに見られる卵の養育技術、すべてが種の生存・繁殖のために不可欠な「適応」例だが、
「生命活動は綱渡りのようなものである。成功に導く道はただ一つの非常に狭い道であるが、失敗に導く道は無限に数限りなくある」というティンバーゲン博士の見解は重要である。とりわけ、そのことを人間社会に置き換えて、〈現代のような変化の激しい世界においては、子どもの行動は「あらゆる物事」に対してうまく適応しているわけではない。(自閉症とは、部分的には、子どもの適応する能力を過度に引きのばそうとするような新しい反応である)〉と述べているが、「(自閉症とは)子どもの適応する能力を《過度に》引きのばそうとするような《新しい》反応である」という指摘に、私は注目する。
 また、(余談だが)、テリトリーをめぐる「敵対」と「逃避」の動因葛藤は、国土・領海・国境問題に対する昨今の国内・外事情を考察するうえでも、大変参考になった。まさに、突進と防御の「二連振り子」行動が、私たち人間の社会においても「動物並みに」(瓜二つの形で)展開しているということを、思い知らされた次第である。
(2013.11.19)