梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「急性心筋梗塞」病状記・6・《「考えない練習」》

 「療養生活」の時間は、健康時に比べて10倍以上長く感じられる。いつまでたっても、朝が来ない。そんなときどうするか。モーツアルトやバッハの音楽に身をゆだねる。それで楽になれれば幸せだが、そうは問屋がおろさない。突如として不快感におそわれる。その不快感とは、「吐き気」「倦怠」「脱力」である。それら不快感とどう向かい合うか。私は、数年前に読んだ『考えない練習』(小池龍之介・小学館・2010年)を参考にしている。要するに、「考えない練習」とは、《「目、耳、鼻、舌、身の五感に集中しながら暮らす練習を経て、さらには思考を自由に操る練習」に他ならない》ということである。いっさい余計なことは考えないで、ただひたすら自分の「不快感」(五感)に集中する。目、耳、鼻、舌に特別な違和感はない。呼吸もまだ自由である。頭痛、胸痛もない。あるのは、「吐き気」「倦怠」「脱力」、私はその《程度》を数値で表すことにした。「吐き気5、倦怠3、脱力4」などというように・・・。この数値は(私の主観で勝手に決めるが)めまぐるしく変化する。(機器ではなく)私の《意識》が私の《身体》をモニタリングするということである。時には「息苦しさ」「口喝」「腹部膨満」などが加わることもあるが、それらの不快感はすべてが服薬の副作用であると、私は盲信している。今のところ、「吐き気」の数値が最も高く、10から20、50、100、1千、1万・・・、と際限なく上昇するが、「Maxになれ!」と念じると、不思議と数値は下降していくような気がする。しかし、なかなか0にはならない。ウトウトして目が覚めると0になっているときもあり、思い切って起き上がると0になることもある。今はまだ、「あなた(身体)任せ」で甚だ心もとないが、いずれは《思考を自由に操り》すべての不快感を0にできるようになりたいと《考えて》いる。(2018.8.12)