梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「急性心筋梗塞」体験記・5・《一般病棟》

 入院四日目(6月28日)の夕方、私は(決意どおり)「一般病棟」(六人部屋)に移ることができた。喜ぶべきことだが、以下の点に注意しなければならないことがわかった。様相は集中治療室とは一変する。これまでの手厚い個別対応とは異なり、何でも自分一人でやらなければならない。それが原則である。また、看護師は複数の患者に分業体制で対応するため、時間が遅れたり、齟齬が生じたり、患者の前で「連絡調整」したり、といった空気が漂い、要するに「安穏」とは程遠い環境になるということである。集中治療室は「母胎」に例えられるが、一般病棟は新生児にとっての「胎外」と同じである。看護師が患者に「ゴメンナサイ」という言葉が多くなる傾向も高まる。待たされたり、放置されたり、忘れられたりといった目にあうことも少なくないだろうが、それはスタッフから「あの患者は、もう目をかけなくても大丈夫だ」と思われた証であり、喜ぶべきことなのである。排泄一つとっても、誰からも心配されず、独りでのびのびとできることが、どんなに幸せか、導尿やおむつの世話になることと比べれば、「推して知るべし」である。
 以下は、あくまで私が経験した六人部屋の様子だが、すべての一般病棟が該当するとは限らない。6つのベッドはカーテンで完全に仕切られ、お互いを視覚的に確認しあうことはできない(視線を合わせることがない)。しかし、物音はカーテンでは遮断できないので、プライバシーは筒抜け状態、要するに、「みんな聞こえてしまう」のである。一人だけ「開けっ広げ」な性格の人物が居て、看護師がカーテンを閉めようとすると、「開けておくように」と指示する。数ヶ月間の入院生活らしく、看護師や看護助手と懇意である。しかし対話を交わすのは看護師だけで患者と目を合わすことも、言葉を交わすこともしない。あるときは看護師に向かって「アカネちゃん」などと呼びかけ「アカネちゃんと呼ばないでください」「だって、アカネちゃんだろ」「私は看護師です。看護師と呼んでください」「・・・・」などという会話が聞こえた。「開けっ広げ」というよりは「無駄に年を取り過ぎた未熟者」という他はない。私の隣の人物はおそらく「寝たきり」の高齢者、物音がするのは激しく咳き込む時、ゼロゼロと痰がからむ時、ほとんど一日中、テレビを観て過ごしているようだ。配偶者は「看護婦」の経験があるようで、面会時、夫にやさしく語りかける。「ハイ、ゴックンしましょうね」「(薬を舌の裏に)また隠してる。いけない子ね」。それに呼応するように、彼が発する言葉は「ウーウー、イタイヨー」と泣き声に近い幼児語だけであった。
 向かいの人物は昭和後期生まれ、病名は急性腎不全、ほぼ「全面介助」だが、半月前までは普通の社会生活をしていたらしい。「人間の身体って、こんなにいっぺんに動かなくなってしまうものか」。そばに付き添う老母が語りかける「足首も全然動かないの?」「・・・・」「以前はよく買い物に行ってくれていたのにね」「・・・・」「元気出してね、必ずよくなるから」「・・・もう、帰れよ。おやじが待ってるぞ」。彼の父もまた「寝たきり」状態らしい。 
 一般病棟では、そうした「人間模様」が連日くり返されていると思われるが、それらを見聞することが、自分の病状改善にとってプラスになるかマイナスになるか、そのこともみずから決断しなければならない。
 私は、一般病棟に移ると、次の日に200メートル、その翌日に500メートルの持続歩行をクリア、さらに三日目には「リハビリテーション部」に出向いて、20分間の自転車ペダル漕ぎに挑戦できるまでに回復した。
 当初、主治医から2週間入院と告げられたが、この分でいくと10日目(7月4日)に退院の運びとなりそうである。(2018.7.3)