梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

大衆演劇・芝居「源吉渡し」(藤間智太郎劇団)

【藤間智太郎劇団】(座長・藤間智太郎)〈平成22年5月公演・大阪梅南座〉                    土曜日(夜の部)だというのに観客数はまばらで20人弱、さだめし他の劇場、他の劇団では「大入り」の活況を呈しているに違いないと思いながら、開幕を待った。第一部・顔見せミニショーはトップステージの組舞踊で左端の役者(おそらく女優・「立ち役」)が目立つ程度で、他は「どうということはなかった」が、第二部・芝居「源吉渡し」になると、舞台の景色は一変した。品川周辺、渡し船の船頭親子の物語。そこの村人たちは平穏に暮らしていたが、ある時、ならず者の連中が村の廃寺に侵入して、賭博を開帳、村人たちの金品や土地(財産)を取りあげ始めた。それを救おうとして船頭の息子が対決、お決まりの暴力沙汰に、息子は「図らずも」ならず者連中を殺傷、小伝馬町への「牢送り」となった。村人たちは減刑の嘆願をしたがお裁きは「死罪」、運がなかったものと船頭の老父はあきらめていた。そこに突然、息子が帰宅する。驚いた老父、さては「牢破りか?」と訝ったが、そうではない。牢屋が火事になり、囚人たちに「三日間」の御赦免が許されたという。実をいえば、この息子には女房と胎児がいたのだ。捕縛されてから1年あまり、できることなら処刑前に老父、恋女房、愛児に「一目会いたい」とやってきた。老父には会えたが、女房は不在。尋ねれば、なんと「二度の亭主を持った」という。胎児はめでたく出生したものの、そのままでは「罪人の子」又は「父なし子」として蔑まれることは必至、そこで老父は知恵を絞って、息子の嫁を再婚させたとのこと、しかも相手は息子の友達(自首すれば刑も軽くなるだろうと息子を説得し、縛につかせた「十手持ち」)だったとは・・・。その結末を知った息子の心中や如何?、驚くやら、憤るやら、怒るやら・・・、そのたびに老父は息子に「事情を説明」、息子もそのたびに「納得する」という孝行の風情が、なんとも「やるせなく」、とりわけ、息子がすべてを了解、愛児と最後の別れを惜しみ、悲しく「子守唄」を唄う場面では、おそらく観客全員が落涙していたに違いない。久しぶりの観る「超一級品」の出来映えであった。配役は船頭の老父・松竹町子、息子・藤間智太郎(二代目座長)、その女房・藤間あおい、十手持ち・藤間新太郎(初代座長)といった面々で、とりわけ女優・松竹町子の「実力」が光っていた。インターネットでは〈藤間劇団 1985年に初代座長・藤間新太郎(現太夫元〉が旗上げ。まじめに一生懸命にをモットーに劇団全員が力を合わせて、日々の舞台を勤めている。2005年5月に新太郎太夫元の長男・智太郎が座長を襲名した〉と紹介されている。その文言に偽りはなく、太夫元の上品で誠実な芸風が座員一人一人に染みわたり、今日のような舞台模様を創出できたのだ、と私は思う。舞踊ショーでも見所は多く、子役・藤間あゆむの「人生劇場」「酒供養」(女形)、太夫元の「細雪」(女形)「よされ三味線」(立ち役)、松竹町子の「恋の酒」(立ち役)、座長の「女形」が強く印象に残った。座員は他に、小町さくら、アイザワ・マコト(いずれも女優)らの若手がいる。いずれも「個性的」で、のびのびと「舞台を勤めている」様子が窺われ、劇団の魅力を倍増させている。今日の舞台を見聞できたことは私にとっては大きな収穫、はるばる大阪まで遠征した甲斐があった、というものである。加えて、劇場の雰囲気も最高、手作りのおでんを賞味できたことは望外の幸せであった。ぜひ明日も来たい(前売り券を買いたい)と思ったが、すでに予定は「決定済み」、後ろ髪引かれる思いで帰路についた次第である。
(2010.5.2)