梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

(安倍首相に続く)稲田防衛相の《嘘》

 稲田防衛相は、13日の参院予算委員会で「籠池氏の事件を受任したこともなけれなば、裁判を行ったこともない。(稲田氏が籠池氏の)顧問弁護士をしたというのは全くの虚偽だ」と発言したが、翌14日の参院予算委員会では「私の記憶が間違っていた。訂正し、おわびする。『虚偽』というのも言い過ぎだった」と答弁を撤回し、謝罪した。(「東京新聞」3月15日付け朝刊・トップ記事「揺れる稲田氏 答弁撤回」)野党四党は、与野党国対委員長会談で、稲田氏の答弁は虚偽だったとして辞任を要求。自民党側は「故意にうそをついたのではない」として応じず、籠池氏の参考人招致を拒否したそうである。(同上記事) 
 稲田氏は「わたしの記憶が間違っていた」ことを認め、答弁を撤回したとき、すでに氏の「政治生命」は絶たれているのであり、防衛相、国会議員を「辞任」しなければ「謝罪」したことにならないという「社会常識」を全く理解していないように見える。間違った理由を「記憶」の所為にして「故意ではなかったから虚偽には当たらない」などと見苦しい弁解は許されない。要するに、稲田氏は国会の場で(言い訳は何であれ)「嘘をついた」(事実ではないいこと強弁した)をことに変わりはないのだから。
 同種の「嘘」は、安倍内閣の面々に蔓延している。その筆頭は「私や妻、事務所を含めて一切関わっていない。関係していたなら、首相も国会議員も辞める」という安倍首相の発言である。安倍首相は「記憶」や「故意」といった心象の次元ではなく、まさに今、事実として「森友学園」と関わりがあるのである。その根拠の一は「妻が名誉校長である(であった)」という事実である。妻が、公人であろうが私人であろうが、安倍首相にとって「他人」である筈がない。安倍首相と関わりのある妻が「森友学園」と関わっているのだから、安倍首相と「森友学園」もまた関わりがある。それが「社会常識」である。その根拠の二は、国有地の売却問題が明るみになった時点で、安倍首相の妻は「名誉校長」を辞任した。もし、一切関わりがないのなら辞任する必要はない。関わりがあったから、「それを絶つために」妻は辞任したのである。これもまた「社会常識」である。安倍首相が、国有地の売却手続きに際して、「一切関わりがなかった」だろうことは当然である。しかし、国有地は「国民の財産」だ。その管理責任を(最終的に)負うのが首相であることも、いわずもがなの「社会常識」である。したがって、安倍首相は、「森友学園」の国有地売却問題に「関わりがある」のである。
 稲田防衛相の「誰にでもバレル嘘」、安倍首相の「姑息・巧妙な嘘」は、氷山の一角かもしれない。いずれにせよ、国民は古来より「嘘つきは泥棒の始まり」という金言を大切にしている。そのことを「記憶」にとどめて、《ゆめゆめ忘るるべからず》《油断は大敵ですぞ》と、安倍内閣の面々に申し上げたい。 (2017.3.15)