梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

小説・センチメンタル・バラード(8)

    生活はみじめだろう。ボクと恋人とのコミュニケーションにおける媒体は何か。それは肉体でも精神でも、その総体としての思想でも、ありはしない。あるいは、それらと現実との接点、すなわちたたかいの場、つまり生活であるか。馬鹿らしい。媒体のないコミュニケーションの自己運動は、ボク達の財産だ。ボク達の、すなわちボクとおまわりの、ボクと恋人達のコミュニケーションは、媒体をもっているだろうか。ボク達は、しあわせだ。自己完結した美はむなしいだろう。それもボク達の財産だ。ボクはサヨナラをいうために、そこからカナリア色の電車に、乗った。その中の、恋人達のささやきは、クレゾールの匂いのように、興ざめだ。そこに、ボクのコドモがいた。コドモは立ったまま眠っていたのだろうか。死んでいたのだろうか。この電車が止まらないのです。おりることができません。ボクは、この電車がどこにも行かないことを知っている。従って、おりる必要はない。サヨウナラ。スピーカーを通して、ボクの声がきこえた。この電車は本当に、止まらないだろうか。ボクはコドモがいらない。どぶどろの海がみえた。どぶどろの空は見えない。それはおそらく吉兆だろう。
(1966.4.20)