梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

映画「ドイツ零年」(監督・ロベルト・ロッセリーニ・1948年)

 DVDで「ドイツ零年」(監督・ロベルト・ロッセリーニ・1948年)を観た。舞台は戦後まもなくのベルリン・・・。廃墟と化したビル群、至る所に瓦礫の山、その中をフォルクスワーゲンが行き交っている。まさに古代遺跡のような敗戦の都市で、健気にも12歳の少年が大人に混じって働いている。場所は共同墓地、仕事は墓の穴掘り、年齢を15歳と偽って、家のために少しでも生活費を稼ごうとしているのだ。少年の名前はエドムント、彼の母はすでに亡く、父は第一次世界大戦を戦った元将校、厳格だが今は病身で寝たきり、兄・カールはヒトラーの配下で連合軍と戦った元軍人、今は素性がばれ(戦犯として)強制収容所送りになるのを怖れ、自宅に閉じこもっている。もう一人の家族は姉のエヴァ、彼女も懸命に父の看病に務め、夜はナイトクラブで連合軍の将校を相手にタバコをもらい、小銭を稼いでいる。要するに、一番の稼ぎ手であるべき父と兄が、全くの役立たず状態なので、12歳のエドムントは大きな負担を背負い込まなければならない。15歳と偽ったことがばれ、エドムントは早々に追い払われた。やむなく家に向かうが、途中、トラックが積み荷の石炭をこぼしていけば、すぐに拾いに行き、馬が斃れていれば、大人に混じってその肉をこそげ取ろうとする。まことに行動的なたくましい(そして頼もしい)少年だったのだが・・・。
 戦争は、まして敗戦は、大人を狂わせる。驚いたことに、エドムント少年を除いて、登場する大人たちには「余裕」が全く感じられない。父は弱気、兄も自暴自棄、姉だけが理解者だが、最後にはやっぱり断絶してしまう。一家の住居は戦災者にあてがわれた、5世帯の共同住宅だが、かろうじて人が住めるような焼け残ったビルの中だ。そこの家主夫婦もまた強欲の塊で、エドモンドから少しでも金目の物を取り上げようとする。年代物の体重計をエドムントに渡し「300マルクで売ってこい」と命じた。エドムントはそれを街頭で見知らぬ男に売ろうとしたが、缶詰2個でごまかされる。大人が子どもをこき使い、しかも、子どもから平気でだまし取る。それが戦争、まして敗戦の結果なのである。
 体重計をだまし取られたエドムントが消沈していると、そこに敗戦前に彼が学んでいた小学校の元恩師(国家社会主義者)のヘニングが現れた。ヘニングはエドムントを彼の住まい(といっても廃墟同然のビルの一室)に連れて行き、エドムント一家の窮状を知る。「何とか力になりたい」と言って、エドムントにある仕事を提供する。それはヒトラーの演説を収録したレコードを連合軍の兵士に聴かせて聴取料を取るというものである。その交渉は兄貴分のジョーがやってくれる。ジョーは両親と死別した少女・クリストルと行動を共にしている。みんな戦災孤児なのだろう。仕事はうまくいき、聴取料200マルクを恩師に届けると、10マルクの駄賃をもらった。その後も、エドムントはジョーやクリストルと行動を共にする。ジョーはこれから商売をするという。見ていると、地下鉄から降りてきた婦人に高級石鹸を見せ「40マルクでどう?」と言う。婦人から金を受け取ると、石鹸は渡さずにそのまま遁走した。戦災孤児たちは「自分が生きるために」恐喝、詐欺、かっぱらい、万引き、何でもやってのける。エドムントには家族が居るが父の年金70マルクだけでは暮らせない。孤児たちの境遇と大差はないのだ。ジョーの仲間がジャガイモの貨物列車を襲うという。エドムントも闇に紛れてその窃盗に荷担し、ジャガイモをゲットする。さらにエドムントは思いついた。「あの石鹸で一稼ぎできる」、ジョーに「石鹸を売ってくれ、10マルクしかないが」というと、ジョーは10マルク受け取り、あっさり石鹸を手渡してくれた。確かめると、高級石鹸は箱だけで中身は空、騙された方が悪いのである。エドムントは、その晩は、孤児たちのねぐらで過ごし、早朝に帰宅する。厳格な父は烈火の如く怒ったが、それが災いしてか心臓の発作に見舞われた。しかし発作は軽く、往診に来た医師の計らいで慈善病院に入院できた。4日間の入院で父は見違えるほど元気になったのだが、一家の経済はますます逼迫し、退院後のめどがつかない。エドムントはヘニング先生に相談する。「明日、父が退院します。でも家には食べ物がありません。父は死んでしまいます。どうすればいいでしょうか」ヘニングの答は意外にも「私にはわからない。今は誰もが自分のことでせいいっぱい。弱い者は死なせるべきだ!」。この一言で、エドムントの運命は決まった。彼はその足で慈善病院に父を見舞い、毒薬を入手する。退院してきた父は、自分の存在が家族の重荷でしかないことを悟り、「神様、死なせて下さい」と祈る。兄のカールには「いつまでも逃げていてはだめだ。堂々と生きていきなさい」と、自身の戦争体験を交えて諭す。その話を聞きながらエドムントは密かに毒入りの紅茶を入れ、父に飲ませた。折しも、警察の家宅捜査、反射的にエヴァはカールに「隠れて!」と言うが、カールはもう逃げようとしなかった。父の話がようやく理解できたのだろう。
 カールが連れ去られた後、エヴァは父が息をしていないことに気づく。大騒ぎになる住人たち・・・。「早く医者を!」「もう死んでる」「棺をどうする?」「紙の棺にすれば」等々。一夜が明け、釈放されたカールが帰宅する。「父さんは死んでしまった」とカールに抱きつくエヴァ、その様子をエドムントは意外と淡泊に見つめている。住人たちが一家を囲んで「もうここには居られないでしょう。家に来れば」、その誘いに応じようとするカールとエヴァに、エドムントは「僕は行かない」ときっぱり断った。カールが「お前はまだ子どもだ」と心配する素振りを見せると「もっと早くそう言って欲しかった」と言う。それは兄姉に対する絶縁のセリフに他ならなかった。 
 そこからエドムントの彷徨が始まる。焼け跡の瓦礫を辿りながら、まずヘニングのもとへ。「先生、僕はパパを殺しました」「エッ、君は何てことをしたんだ。私は知らない!、もう私の所に来るな!」と驚愕する恩師。次に、孤児のクリストル、兄貴分のジョーの所へ、しかし、彼らの輪の中にエドムントが入る余地はなかった。エドムントは再び、自分が住んでいたあのアパートへ。向かいのビル(階上)から父の遺体が運ばれていくのを見下ろしている。喪服を着たエヴァたちがエドムントの名前を呼んでいる。エドムントはゆっくりと上着を脱ぎ、穴の空いた床下をのぞき込み、一瞬目をつぶったかと思うと、そのまま「すっと」飛び降りた。物音に気づいた住人の一人がエドムントに近寄ってのぞき込む。「エドムント!」という叫びとともに、この映画は「Ende」となった。
 この映画が作られたのは1948年、監督のロベルト・ロッセリーニはイタリア人だが、舞台はドイツのベルリン、主要な登場人物もドイツ人という具合で、何とも異色な映画である。同じ頃、イタリアでは「靴みがき」(監督・ヴィットリオ・デシーカ・1946年)、日本では「蜂の巣の子どもたち」(監督・清水宏・1948年)が作られた。いずれも、主人公は敗戦後を過ごす子どもたち(の群像)であり、その子どもたちの誰かが「死んでいく」という点が共通している。戦争から学ぶことは、勝利よりも敗戦からの方が多いようだ。とりわけ、戦争が「すべての人間を狂わせ、その被害に遭うのは子どもたちである」という定理は貴重である。戦争は目的・正邪・勝敗にかかわりなく「全て悪」であり、それを行った人々は「全て犯罪人」だということを学ばなければならない。
(2020.8.25)