梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

テレビドラマ「日本の日蝕」(NHK・1959年)

 ユーチューブでテレビドラマ「日本の日蝕」(NHK・1959年)を観た。原作は安部公房、演出は和田勉である。戦後15年、場所は大都会のとある居酒屋、酔客に混じって一人の老人・大貫忠太(伊藤雄之助)がコップ酒を口にしている。隣の客の話を聞きながらニヤリとすると「何がおかしい!」と一蹴された。思わず「昔の若者は規律正しかった。俺の息子は15年前に名誉の戦死を遂げたのだ」と独りごちする。すっくと立ち上がって何か言おうとした時、一瞬、硬直してその場に崩れ落ちた。脳出血の発作で落命したのだ。病院の霊安室に安置された老人の遺体のそばで監察医がつぶやく。「大貫忠太か、たいそうな名前だな」。この老人は15年前の冬、東北山村の駐在所に勤めていた。連れ合いに先立たれたが、一人息子は成長して入隊しているらしい。ある吹雪の晩、電話の音が鳴った。憲兵隊からで部隊が耐寒訓練中、吹雪に紛れて一人の兵士が脱走した、そちらの村に向かうかもしれない、という情報であった。大貫は「やっかいなことにならなければよいが」と思いつつ、とりあえず村長(山田巳の助)に知らせに行く。村長宅では助役(伊東亮英)と住職(加藤精一)が酒盛りの最中、あわてて酒席を片付けようとしたが、駐在だとわかると一同安堵して迎え入れた。大貫は脱走兵のことを告げ、「兵士は銃を持っている。村人を脅して脱走を手伝わせるかもしれない」と危機感をあおる。「とにかく家を堅く閉ざし、一切関わらないようにすることが肝腎だ」ということで、助役が村の家々にその旨を通達する。中には、火の見櫓で監視し、兵士を発見したときは半鐘を鳴らすという意見もあったが「いたずらに刺激しない方がいい」という大貫の助言で取りやめ、村人一同は「貝のように閉ざして」一夜が過ぎるのを待った。この村からも何人かの若者が入隊している。誰もが思うことは「その脱走兵は身内かもしれない、もし身内だったらこの村で暮らすことはできない」という恐怖である。脱走兵は《非国民》であり、当時の日本社会では許されない存在だからである。「息子かもしれない」「夫かもしれない」「兄弟かもしれない」と案じながら、まんじりともせず一夜を過ごす。大貫も駐在所に戻り、凍り付いた窓ごしに屋外を見ている。静寂の中、軍靴・ゲートルの両脚が近づき・・・、しばらくして遠ざかっていった。しかし雪の上にしっかりと足跡が刻まれている。脱走兵がどの家に立ち寄ったかは朝になれば一目瞭然だ。そして、一夜が明けた。同時に村の警報が鳴る。駐在所の電話も鳴り始めた。兵士が見つかったのだろう。大貫は覚悟を決めた。やがて助役が訪れる。「兵隊が見つかった。村の外れで自決していたそうだ。」大貫は「どうかこのことは内密に」と懇願したが「それは無理だろう。早くこの村を出て行ったほうがいい」と助役に説得される。
 そしてドラマの冒頭場面が繰り返される。
戦後15年、大貫は息子の死を「名誉の戦死」と称した。私たちは、その意味をあらためて理解しなければならない。当時の若者にとって入隊は「死」を意味する。脱走することは「死」からの逃避である。お国のために死なない者は《非国民》である。だから息子は非国民であり、その親である大貫も非国民である。それが戦前社会の通念であった。息子は、その通念に敢然と立ち向かい、抗議するために自ら命を絶った。不戦を貫くために、誰も殺さずに死んだのである。そのことが「名誉の戦死」でなくて何だろうか。そうした思いが、このドラマ全体を通して貫かれており、主人公・(不戦の)兵士の登場は「両脚のみ」という演出も見事であった。(2019.7.5)