梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

小説・ひばり(1)

 高田馬場から、西武線を西へ50分、玉川上水駅に降り立ち、見ればふとかたわらを流れる鉛色の人食い川を、さかのぼって羽村の取入口まで約15キロ、なお西へ向かって私は憤然と歩き出すのだ。玉川上水といえば。今は昔、コメディアン・太宰治の息の根をとめたほど、満面あますところなくやさしさの微笑をたたえた、温情溢るる人造疎水であった。だが、ここはすでに御殿山にはあらず、面影ばかりはまだ暮れやらぬ五月の空に、林をくぐり丘を走る鉛色の水、滔々として未だに武蔵野の名残をとどめるとはいえ、ただひたすら流れることによっておのれを貫こうとする自然のサンボリズムに対して、眼には眼を歯には歯を、私もまた血を吐く思いでさかのぼるのだ。垣間見た女はといえば、薄赤色のスーツも軽やかに、春の小川はさらさらゆくよ、岸のれんげやすみれの花に、しばし足をとめて我を忘れること二度三度、だがしかし、すみれの先のたんぽぽ、そのまた先の貧乏草の一群の中の、コケコケコココ、夜となく昼となくヌカをついばむ鶏舎の悪臭に、我に返って涙ぐんだ。「もっとゆっくり歩きましょうよ」だがこれはすでに散歩ではなく、道行ではなく、ましてや情死行などという代物ではさらさらなく、おのれの存在を歯牙にもかけぬ図太さによって、堂々と存在している一滴の水沫の流れに抗する歩みであってみれば、先を急がねばならぬのだ。
(1967.5.10)