梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「自閉症 治癒への道」解読・12・《第5章 何が子どもを自閉症にするのか》

《第5章 何が子どもを自閉症にするのか》
◎要約
【「結果的」自閉症】
《聾・風疹などの結果としての自閉症》
・一次的な欠陥の二次的な結果として、自閉的になっていく子どもも数多くいる。
・デ・ソート症候群というまれな病気によって、自閉症になる場合もある。
・「自閉的でありそのうえにてんかん」であるといわれる場合でも、てんかん行動は自閉的な状態の結果であるかもしれない。
・結果的自閉症は実際起こるものであり、これまでの「仮説」がすべての自閉症児にあてはまるとか、それで完全に説明できると主張はしていない。しかし、非常に多くの自閉症児については「あてはまる」と主張する。
【下向きのらせん】
・重い自閉症児の場合には両親その他の者にとってその子と正常な対人的なつきあいを維持することが徐々に難しくなる。その子にどう対処してよいかわからないということの「結果として」、逆に甚大な影響を受けるようになる。そういう親の大部分は、教育を放棄する。子どもの要求に屈してしまい「スポイル」する。怒りを感じる。親が困るようなこと、危険な活動や機会から「閉め出す」。子どもの前で、自分の子どもが自閉症であることを平気で説明する。そういう親は、結果的に子どもを「心理的にめった打ち」していることに他ならない。つまり、反応してくれない子どもへの「敵意」が隠されている。
・子どもは、そうした「敵意」に気づいており、くり返し深く傷つき、自分のからにひきこもるか、破壊的、攻撃的になっていく。
・こういった母子が互いに相手を深く傷つけ合うような現象を「下向きのらせん」と呼ぶ。最初は一対一の母子関係(二者関係)であったものが、まもなく父親が加わった三者関係がやられ、ついで非常にしばしば家族全体がやられていく。その結果、子どもを施設に頼むことも多い。
・「自閉症」は、真の「文明病」である。われわれの環境の中に生じている複雑・壮大な変化のほんの一つの表れにすぎない。「自閉症発生」要因は、純粋な「心理的社会的汚染」の表れである。そしてこの汚染自体は、われわれの文明がわれわれに強いている全般的不適応過程に一部にすぎない。そのすべてを元通りにすることは不可能かもしれないが、そのままにしておいてよいという正当な理由はひとつもないし、それでは申し訳が立たない。
【どんな子どもが傷つきやすいか】
・(想像にすぎないが)自閉症の数多くの子どもが、なんらかの点で特別な才能をもっているように見える。
・逆説的だが、こうした才能は、この子どもたちを孤立させるのに寄与しうる。彼らは、極めて鋭い対人的感受性を備えており、ほんのちょっとした冷淡さや共感の欠如によって簡単に傷ついてしまう。また、ペット、花、笠雲などに対する反応のしかたがたいへん詩的である。また、音楽に対して強い関心を持っているため、その子の最高の友情の表し方は、訪問者に自分の最も大切にしているレコードをくり返しかけてあげるということであったりする。
・このような子どもたちは、皆、他人からの無理解、あざけり、敵意と出会う危険にさらされており、それが彼らを深く自分自身の中にひきこもらせてしまう。
・多くの自閉症児においてこの過度に鋭敏な対人知覚能力と優れた知的芸術的才能とが結びついている、と確信している。
・ある種のごく優れた才能と「自閉症発生要因」の影響を受けやすいこととの間には「相関」があるように思われる。(自閉症児は、多くの者が標準以上の能力をもっていた、そして今ももっている)
【自閉症と社会】
・これまでの「仮説」を検証する(次善の)方法として、①自閉症児と非自閉症児の生育歴を掘り起こすことによって回顧的に調べる、②多数の子どもの標本を誕生から追跡し、どのような条件が自閉症を発生させること、あるいはさせないことと関連しているかを調べること、が考えられる。①は、より系統的に、より徹底的な臨床研究を進める価値がある。②は、何千人もの子どもが必要で、多数の研究者を擁する共同研究でなければならない。
・「西欧」社会のような現代的な、工業化され、都市化された高度に競争的な社会(現代の日本の社会、アメリカに住んでいる黒人のような社会)では、自閉症の発生率が高いのではないか。(確証はない)
・歴史の流れの中で、(時代的な)発生率を比較することも一つの研究方法だが、その資料は無い。カナーが1943年にこの症候群を記述したとき、他には誰にも知られていなかった。(その時代以前には発生していなかったのだろうか?)
・ヒトが地球を征服するようになり始めたのはおよそ100万年前、ユーラシア大陸の温帯地方で、狩猟ー採集生活を行っていたが、狩猟は男、採集は女・子どもという労働区分があった。その生活は、現代のブッシュマン、オーストラリア原住民、エスキモーの生活の少し前の段階と、非常によく似ていたに違いない。
・また、狩猟ー採集という生活様式は、そういう生活に適した社会的な組織(「身うち集団」)が伴っていた。ヒトは100万年にわたって、少数の「拡大家族」(寡婦、義理の父、母、きょうだい、祖父母その他老人をふくんだごく近い親戚の集まった家族集団)で生活していた可能性がきわめて大きい。
・そのような原始的な社会においては「安定した母親代理」が大勢いた。若い母親は年上の婦人の経験・忠告・手助けをあてにすることができた。子どもは両親と一緒に過ごすだけでなくすべての年齢の子どもからなる遊び集団で多くの時間を費やした。女の子たちは、年下の子の世話を任せられ、母性的な行動を学んだ。男の子たちは、典型的な男性の仕事を観察しまねしたに違いない。父親は、子どもとの狩猟ごっこ、じゃれ遊び、ふざけっこなどをしたことであろう。現代の狩猟採集民(ブッシュマンなど)の子どもたちは、学校に行かなくても、そのような生活の中で多くのことを学習している。また、そのような社会は概してさわやかで明るく陽気な雰囲気があふれている。
・一方、西欧社会は陰気・陰うつ、能率志向であり、暗い雰囲気がたれこめている。しかも、人々はそのことに気づいていない。
・子どもが学習すべきことは、劇的に変化している。原始的な社会の子どもたちの学習では、意図的に教示されることは比較的少なく、遊び的雰囲気の中で観察と模倣、体験(試行錯誤)によってたくさんのことを学習する。現代社会の子どもたちにとっては、観察学習、体験学習の機会は減っており、教示されることが多くなっている。現在の制度化された教育のやり方は、あらゆる種類の学習にとってそれほど必要でないし、昔のやり方と比べて効果的というわけでもない。
・こうした変化に気づくことは、自閉症に対する見方の参考になる。
・(人をふくめた動物の)生存はひとりでに起きるものではない。生きていくためには、周囲の環境・条件に「適応」しなければならない。人間の身体と行動の機構は適応するように仕組まれている。
・ヒトは古今を通じ、すべての動物の種の中でとびぬけて適応力が高い。ヒトは非ー専門の専門家である。ヒトは「知能」をもっており、きわめて優れた学習能力だけでなく、好奇心、発明の才、想像力、創造性をかね備えている。しかし、その適応力は無限ではなく、学習過程それ自身が法則に支配されていること(束縛され規定されていること)を見落としてはならない。
・ヒトは、まず第一に「生得的な」行動を発達させる。(赤ちゃんが泣くこと、笑うこと、母親に授乳させたり世話をさせたりすることを可能にする活動や態度)
・「歩く」行動は、遺伝的な過程としてあらかじめ組み込まれているが、効率よく歩けるようになるためにまでには、さまざまな学習が必要である。その学習もまたでたらめに起こるのではなく、遺伝的遺産の一部である。
・ほとんどの行動は、完全に学習によるものでも完全に生得的でもない。遺伝と教示の学習の両方の支配下に発達する。
・「話しことば」の学習は「周囲で話される言語」(教示)によって決まるが、「表情」「身ぶり言語」は、「生得的」(遺伝)であり、世界中どこの人でも同じである。
・学習は、生存のために組まれている課程(プログラム)の一部である。それは、遺伝的に組まれた基礎的な「概略的な」課程を補い、洗練し磨きあげる働きをする。また、われわれのもっている数少ない「純粋に」生得的な行動は、必要なときにすぐ「働か」なければならないものである。
・発達におけるこの遺伝と環境の相互作用は、人々の間の違いとしてもはっきりと現れる。①「聡明な」子どもと「鈍い」子どもとの間の量的な違い。②「才能」と「無才」との間の質的な違い。このような違いは、子どもの育てられ方によってある程度まで際立たせることもできるしならすこともできる。その場合、単に知的な資質とその発達だけでなく、情緒的な資質と弱さ、心理的な性質の圧力に対する回復力(ストレスに対する抵抗力)についても考えるべきである。
・遺伝と環境が、正常な人間行動の発達にどのように寄与しているか、われわれの適応力の限界を知るにはどこを見ればよいのか、異常な環境は、子どもの発達にどの程度そこないうるか、等ということについては、まだはっきりわかっていない。そんな中で、自閉症の環境的・心因原因説が依然として断固拒否されていることは、注目すべきことである。
・初期のヒトは、他の動物と同様に、環境を自分の必要性に合うように統御し変化させることをし始めたが、それが(他の動物と違って)蓄積的な性質をもつ文化的伝承となり、遺伝的進化の速度を追い越していった。ヒトは自分を環境に合わせるのではなく、自分に合うように環境を変えていった。この文化的進化の結果が、現代社会を支配している。
・この「文化的進化」(自然の征服)は、有害な副作用をもたらした。(爆発的な人口の増加、自然資源の乱獲、汚染、枯渇、新しい細菌類や病原体の発生など)
・その副作用は、社会的な環境にも及んでいる(心理的な形の汚染)。①現代の子どもは大きな密集した「匿名の」社会で育つ傾向が高まる。②遊び集団や家族の中での、形式ばらない効果的な行動の習得課程が減り、学校その他の機関での学習(教示を受けること、技能の学習)に重点がおかれている。この傾向は、正常な発達に有害な結果を数多く生んでいる。①子どもは、適応力を広げすぎるような条件にさらされる。数え切れない「見知らぬ人」に出会い、「遊び」よりは「勉強」、団体訓練をふくむ組織化された教示が多くなり、その結果、興味の喪失だけでなく反抗さえ招くことがあまりにも多い。②「家族の実質的崩壊」により、育児技術の習得が妨げられる。
・「自閉症発生要因」のリストの多くは、そのような社会風土の崩壊と関連している。


【結論】
①自閉症の原因は、受精卵の染色体の欠陥のために起こることが知られている異常に比べると、遺伝の関与はずっと決定的でないことはほとんど確実である。遺伝的な側面があるとすれば、ある種の子どもは他の子よりも影響を受けやすく、傷つきやすいという相違があるくらいの程度である。
②傷つきやすい子にとって、(正常な発達からの)逸脱の引き金になりうる外的な条件を列挙した。(「自閉症発生要因」のリスト)これらの要因の多くは、親の「過ち」とは限らないし、親自身が何年も前にさらされ、傷つけられてきた状況とつながっている場合もある。
③人類の発達・歴史という観点で見た場合、最近の社会的条件の発展は一部不適応を生んでいる。この全体的な不適応の対人的な面からみると、自閉症もおそらくたくさんの不健康な誤った形の発達の一種である。


*「自閉症発生要因」の大半は対人的な性質のものである。それらはもともと感覚入力を通じて働き、子どもの動因状態に影響し、それを通じて子どもの行動に影響するのであるから、「心因的」なものとして分類されるべきである。
*ただ、現段階の知識では、まだその「仮説」は、仮定的でしかありえない。


《感想》
 以上が、《第5章 何が子どもを自閉症にするのか》の後半節である。私が最も興味深かった点は、①【下向きのらせん】と、②【どんな子どもが傷つきやすいか】に記述されている内容であった。①では、母親が(反応しない)乳幼児に「どう対応してよいかわからない」ということの結果として、教育を放棄する、怒りを感じる、「敵意」をもって「心理的にめった打ち」にする。乳幼児は、そうした「敵意」に気づいており、自分のからにひきこもるか、破壊的、攻撃的になっていく。最初は一対一の母子関係であったものが父親も加わって家族全体が崩壊していく、と述べられていたが、昨今の「児童虐待」事例と「瓜二つ」、子どもが自閉症か否かにかかわらず、環境要因による子どもの被害・災難は後を絶たない。これもまた、人類の「文化的進化」の副作用なのであろうか。また②では、
・「(想像にすぎないが)自閉症の数多くの子どもが、なんらかの点で特別な才能をもっているように見える」「多くの自閉症児においてこの過度に鋭敏な対人知覚能力と優れた知的芸術的才能とが結びついている、と確信している」と述べられている。つまり、「過度に鋭敏な対人知覚能力}に対する適切な対応(手立て)を図(りさえす)れば、彼らはその「特別な才能」を十二分に発揮することができる、ということである。これは、極めて明るい材料である。テンプル・グランデン氏、ドナ・ウィリアムス氏など、著名な「自閉症」経験者が実在していることも事実なのだから。要は、「過度に鋭敏な対人知覚能力」による「不適応」を、どのように克服し「才能開発」の方向に向けるか、の一点に絞られるだろう。次章が楽しみである。(2013.11.28)