しか・《1》
井上間人
荒廃した地の、檻の中にしかが立っていた。おりの金網はところどころ大きく破れていた。
しかは、私にその白い尻を向けて、何かしきりにやっていた。そっと近づいて、その動作をのぞき込んだ私は、一瞬何ともいえぬ感情に、心がふるえた。言い知れぬ哀愁であろうか。号泣にも似た怒りであろうか。
大きく破れた金網は、乾ききった木の枝と、硬く凍りついたような麻縄で無造作にふさがれていた。
彼はその柔和な顔を、冷たい金網にこすりつけ、乾ききった枝といわず、麻縄といわず、針金といわず、一心になめ尽くしているのである。
私の存在に気がつくと、彼はすっと首を伸ばし、その枯れた角を宙におどらせ、さびしく見栄をきった。老いてしまったしかの、せめてもの誇りであるかのように。
彼は、再び枝を縄を、針金をなめて、眼をうるませた。私はもはや、彼の前を動くことができなかった。枯れ木の枝が、麻縄がいったいどれだけ、彼の餓えを満たしてくれようか。金網からほどけた針金までも欲する彼である。
荒廃した地の。檻の中にしかが立っていた。永い私のその場の存在に、しかは再び顔を上げた。
彼のうるんだ両眼は、じっと私を凝視して懇願した。
「何か食わせてくれ」
しかは、また金網にその大きな体をすりよせた。私はこの荒廃した地をさまよい、彼の食物を探さねばならぬ。しかし、もはや悲しみにも近い彼の空腹を満たせるものがどこにあろう。夜には、霜柱が針のように突き刺さるこの地である。昼でさえも、氷よりも冷たい北風が、容赦なく吹きすさぶこの地である。私は、低く地を這う笹の葉を力まかせに引っ張った。根まで抜けた時には。やっとくっついていた葉も、すべて落ちていた。私は鋼のようなその茎を、彼の前に差し出す他はなかった。彼はボリボリとうまそうに食った。うまいであろう筈がない。あんな、甘い汁の出ない茎のどこがうまかろう。それでも彼はうまそうに食うのである。私にはそれ以上彼の要求を満たすことはできなかった。
荒廃した地の、檻の中にしかが立っていた。彼がその顔を金網に近づけるたびに、角がじゃましてゴトゴトいった。奥山で若く美しい力を互いにぶつけ合い、威容を誇ったこの角も、今は生きていくための、障害物に過ぎぬではないか。
私は思った。
いったい、なぜ檻の中にしかがいなければならぬのか。いったい、なぜしかのまわりに檻がなければならぬのか。
(1961.3.12.『炎』第23号・豊多摩高校文芸部)
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