戦後文学の思想と方法・戦後文学とは何か・Ⅰ・《5》
〈「戦後文学」或いは「近代主義」といわれるこの一派に属する人々は、すべdて小市民的インテリゲンチャであった。(勤労者出身の椎名麟三もその観念においてはインテリゲンチャである。)また、多かれ少なかれ戦争の被害者であった。戦争に積極的に協力した者は一人もいない。しかしまた、戦争に対して行動をもって積極的に抵抗した者もいない。これが彼等に共通したもっとも見やすい徴表である。(略)彼らが自己の文学的イメージを形成しなければならぬ地盤は、すでに在来の文学概念の一切が権威を失墜した転向と戦争の時代であった。それ故、戦争は彼等にとって、城壁にかこまれた自我の城の上に襲いかかる単なる外部の事件ではなくて、外部と同時に内部を犯す事件であった。これが彼等の体験を独特のものにした。しかも、彼等にとって文学的イメージを養うものはこの体験をおいて他になかったのである。
この体験に含まれた逆説は次のようなものである。つまり、彼等は万人から切りはなされた全き孤独の中で、この体験を自己独自のものとして痛切に身に感じたが、同時に戦争は一種普遍的な力として内面にまで浸潤してくるのだから、彼等は孤独の中にあって万人と共通した被害者としての自己を感じた。
「とにかく戦後出てきたときには、今までの文学全体に対する拒否を持っていた」という椎名麟三の告白に恐らく嘘はないだろう。全的否定を通して彼は無限の自由を得たわけである。荒正人が戦後間もなく、「民衆とは自分だ」と昂然として云い放つことができたのもこのような内的体験にもとづいている。万人と共通した被害者の意識を持つことによって、インテリゲンチャは。誰はばからず自己を主張する権利を得たかのようである。〉(「戦後文学の諸相」(佐々木基一)・『現代新書』・109頁)
佐々木基一はこの後で、戦後文学の文学的特質について書いている。それを要約すると大体つぎのようになるだろう。
1 戦後派作家の、人間のとらえ方、描き方が普遍的世界の中で行われている。そこには外的状況に人間がおしつぶされ、人間の存在が無意味なものと化す危機意識が根柢的に横たわっている。この危機感は、実存主義とマルクス主義の方向に向かって追究されている。
2 方法として、素朴リアリズムの否定という立場に立っている。その方法には、社会主義リアリズムに向かう傾向と、椎名麟三や埴谷雄高のように観念小説に向かう傾向と、大岡昇平や中村真一郎、三島由紀夫のように心理主義的方向に向かうものとがある。
3 感覚的・情緒的文章や、写実的文章表現は1におけるような主題を表現することができないために、新しい文体が用いられる。作品は批評的な性格を帯び、むずかしい抽象語や理づめの文体が使われる。例えば大岡昇平の「俘虜記」、野間宏の「暗い絵」がその具体例としてあげられる。
私は佐々木のこのような規定を否定するものではない。だがしかし、佐々木は戦後派文学をこのように規定すると同時に、それを「戦後文学」として積極的に評価しているのは明らかなのであって、とすれば、佐々木は何故昭和37年になって、例の「戦後文学は幻影だった」(『群像』・37年8月号)と書かなければならなかったのであろうか。
佐々木は戦後文学が幻影だった理由として、要するに「彼らは大部分、彼らの観念と思想を50年以降変化した戦後社会によく適合させることができなかった」ことをあげ、戦後文学を発展的にのりこえるためには、それが幻影としてもっていた「近代」の概念を明らかにしなければならないと書いている。
(1967年3月)
このブログへのコメントはmuragonユーザー限定です。