戦後文学の思想と方法・戦後文学とは何か・Ⅱ・《2》
芸術とは何かという問題はだがしかし、決して主観的な解釈ですませてはならない。つまりそれは芸術をいかに認識するかという問題であり、その限りにおいて認識は正に《科学的》でなければならない。なぜというのに、芸術という言葉が指す対象が具体的に私たちの前に存在しているわけではないのだから。具体的に存在しているのは個々の芸術作品であり、芸術とはそうした個々の芸術作品から抽象された一つの普遍的な概念なのだから。すなわち、私たちは個々の芸術作品を受けとめる(鑑賞・批評)ときと、「芸術とは何か」という問いかけによって芸術を認識しようとするときの態度とではおのずから区別しなければならない。いわば前者は芸術の特殊性を認識することであり、後者は芸術の普遍性を認識することである。私が先にあげた2点とは、社会的背景という「状況」としての特殊性と個々の作家のオリジナリティが「芸術とは何か」という普遍的な問題にどう答えようとしているかよいうことに他ならない。
さて、芸術の普遍性を認識するということは、とりもなおさず人間のありかたの中で芸術がどのような位置にあり、どのような役割を果たしているかをにんしきすることである。芸術を認識するためには、人間のありかたを認識しなければならない。
人間は当初において「芸術」を創り出そうとして創り出したわけではなかった。それは人間が自己のありかたを生活的に追求したことの結果として必然的に生みだされた。
〈しかし、決定的な一歩がふみだされた。すなわち手が自由になり、そしてそれからはますますあらたな技巧を獲得することができた。(略)こうして手は労働の器具であるばかりではない。それはまた労働がつくりだしたものでもある。労働により、ますます新しい仕事への適応により、それによって獲得された筋肉、腱、および長い間にはまた骨格の特殊の訓練を遺伝することにより、またこれら遺伝された改良進歩を新しいますます複雑な仕事に応用することにより、ただこれらのことによってのみ、人間の手はそれがラファエロの絵画やトルワルトゼンの彫像やパガニーニの音楽を魔法で呼び出すことができたほどの高度の完全さの域に達したのである。〉(「自然弁証法」・エンゲルス・『文学・芸術論』・大月文庫・26頁)
けだし、芸術を科学的に認識するとは、そうした人間のありかたを科学的に認識するということに他ならない。つまり、芸術とは何かについて答えようとするとき、人間とは何かということを科学的に認識することから出発しなければならない。
(1967年3月)
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