梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

戦後文学の思想と方法・戦後の状況・Ⅱ・《8》

梨野礫

 これまで述べてきたことを要約すれば次のようになるであろう。

 戦前における日本人の意識は、《醇風美俗》を基礎にして、その上に《国体観念》を構築し、またはさせられていたが、それが敗戦によって天皇制権力機構が崩壊するとともに、《国体観念》は人々の意識から忘れ去られ消滅した。しかし、資本主義的経済機構が崩れ去ったわけではないということに対応して、すなわち人々の生活を直接的に規定するものとしての、封建性を基礎にした日本独占資本主義の支配下にあるという事実に対応して、彼らのそれに根ざした生活意識としての《醇風美俗》が消滅したわけではなかった。それゆえ、人々にとっての「民主主義」とは、それまでの《国体観念》にとって代わるものとして、それと同じ程度に、いやそれ以上に彼らには疎遠なものであったということである。
 
 ところで私は今「戦後思想」の原点を問題にしているのである。「戦後思想」は、人々の社会意識、生活意識と接点をもたない限りでたらめである。日高六郎は「西欧的近代的発想に根ざす『民主主義』がほとんど《醇風美俗》のなかに足がかりを持つことができなかった」(『日本資本主義講座』・Ⅸ)と書いているが、いったいそれは誰の責任であるのか。「民主主義」が日本人の意識に定着しなかったのは誰の責任であるのか。はたして本当に「民主主義」とは西欧的近代的発想に根ざしたものなのか。何を根拠にそのようなことがいえるのか。その根拠は、いわゆる知識人の単なる「知識」の枠を一歩も出るものではないのではあるまいか。そうした問いかけは、必然的に、人間にとって思想とは何かという問題にいきつかざるを得ないであろう。ともかくも、私は戦後日本社会における思想として思想たり得たののは、タテマエ化された「民主主義」などではさらさらなく、前近代的、封建的な残存物としての《醇風美俗》の思想であったことを信じて疑わない。

 山田宗睦は『危険な思想家』(光文社)において「《戦後20年が勝つか、明治百年が勝つか》」などと書き、タテマエ化した「民主主義」を守ろうとした。いうまでもなく、タテマエ化された「民主主義」によって戦後20年が勝つことはできない。山田は、民主主義の概念規定を怠ったと批判され、「戦後民主主義のための弁明」(『現代の眼』・65年8月号)で文字通り弁明している。それによれば、戦後民主主義とは代表制民主主義のことではなく、直接民主主義へと無限に発展すべき、すなわち「経済の構造的改良をふくむ民主主義的社会主義革新」と「権力移動とが、ながい不断の過程で統一」されることをその最大の問題としている民主主義だということである。だがすぐその後では、「この問題について、わたしは、ここに具体的な方策をのべるだけの力はない。」などと書いている。山田宗睦は、はからずもここにおいて、みずからの知識人的思い上がりを暴露している。すなわち、山田にとって、いわゆる大衆の社会意識、生活意識など眼中にありはしないのだ。「日本国憲法」の理念がブルジョア・デモクラシーであり、それが本来的な「民主主義」からすれば全くのまやかしであるということなど自明の理である。そしてそれに対して単に「直接民主主義」という言葉を対置してみたところで、それは何もいったことにはならないということも、知識人の常識でなければならない。山田は「日本国憲法」がブルジョア・デモクラシーであることから、ア・プリオリに日本のいわゆる大衆がブルジョア・デモクララットであることを前提にしているのだ。だがすでにみたように、日本のいわゆる大衆はブルジョア・デモクラットですらあり得なかった。そしてそれが、いわゆる知識人の思い上がりによる主観的な状況分析の責任であることはいうまでもない。山田宗睦が、日本の戦後民主主義の発展についての具体的な方策をのべ得ないのは、つまるところ、いわゆる大衆の社会意識、生活意識を戦後思想の原点としてとらえていないからだ。

(1967年3月)

戦後の状況・Ⅱ・《8》 : 戦後文学の思想と方法