梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

戦後文学の思想と方法・戦後の状況・Ⅱ・《1》

【ぼくはこんど戦争があったら、やはり戦争にゆくであろう。そしてきれいに死のうとするであろう。》(「戦中派の条理と不条理」・村上一郎)】


 私は前の章において、「戦前」から「戦後」への歴史的転換を、政治・経済的」な視点からながめた。いったい1945年8月15日を境として、日本の社会はどのような転換を行ったのか。変わったものは何であり、変わらなかったものは何なのか。前の章にしたがうなら、それはひとくちにいって政治的な天皇制権力機構の崩壊ということであった。そしてその崩壊は、第二次世界大戦の勝利者である反ファシズム連合軍、とりわけアメリカ合衆国によってもたらされた。また新憲法制定の経緯からもわかるように、その崩壊現象の中には、現代世界の基本的矛盾、すなわち「二つの世界」の冷戦という政治・経済的矛盾が集約的に表現されていた。それゆえ、日本の社会は、天皇制権力機構の崩壊と同時に、また世界の基本的な矛盾のまっただ中に投げ出されざるを得なかったのである。そして、変わらなかったものは、日本が資本主義社会であるという経済的事実であった。もし人間の生活を直接的に規定するものが経済活動であるとするなら、日本人の生活は8月15日を境として、本質的には何ら歴史的転換を行い得なかったということも、あるいはいえるかもしれない。
 さてこの章で私のめざすことは、そうした問題と直接」かかわってくる。すなわち変わったものと変わらなかったものの《はざま》の中で、人々の意識は、とりわけ生活意識はどのような状況にあったかということ。それをみることがこの章でめざすことである。
 そのとき、まずはじめなければならないことは、人々の意識は8月15日の時点でどのような状態にあったかということである。それは当然のことながら、人々がそれ以前において、第二次z世界大戦をどのように評価していたかという問題とかかわりをもつ。というより、むしろそうした問題を明らかにしなければ、8月15日の意識は解明できないという方が正確である。文学における「日本浪漫派」の問題はそのようなものとして存在するだろう。だがここではふれずに、前の章で引用した次のようなことに注目したいと思う。
 〈わたしたちが日頃「戦争」というとき、それはほとんどつねに太平洋戦争をさしており、太平洋戦争は対米英戦争にほかならないとされている。そのような意味で日本人の戦争意識は“12月8日”にはじまったということができる。〉(『日本現代史』・上・合同新書・21頁)
 同じことは、作家五味川純平によっても指摘されている。
 〈われわれ国民の圧倒的大多数は、昭和16年12月8日をもって《はじめて》戦争を実感したのではないだとうか。それ以前には戦争はなかったのだ。昭和6年満州侵略からまる10年間ひきつづきおこなわれている中国との戦争は戦争として自覚されてはいなかった。つまりせいぜいが「満州事変」であり「支那事変」にすぎなかったのである。〉(「精神の癌」・五味川純平・『現代の発見』・Ⅰ・春秋社・16頁)
 すなわち、人々の「戦争」意識の中には、第二次世界大戦の帝国主義国間の戦争という側面、とりわけ太平洋戦争という側面しか入っていなかったのである。

(1967年3月)

戦後の状況・Ⅱ・《1》 : 戦後文学の思想と方法