「情緒障害」(昌子武司著・教育出版・1978年)通読・12
《第五章 欲求と意欲》
《一 欲求と意欲の違い》
【要約】
・食欲・性欲・睡眠の欲求といった生理的な欲求と、獲得欲求(プラモデルが欲しい、100点が欲しい)、愛情欲求(かわいがられたい)は、基本的欲求と呼ばれ、人間の生得的にもっている欲求である
・基本的欲求(A)は、しばしば現れて消えるという体験を重ねていくうちに変化をとげて、意欲(B)という欲望になってゆく。
◎例:おいしいものが食べたい(A)→おいしいものが食べられる身分になりたい(B) 性欲(A)→異性の愛情がほしい」(B)
車がほしい(A)→車のもてる身分になりたい(B)
金がほしい(A)→金持ちになりたい(B)
不正をしてでもよい点がほしい(A)→努力をしてよい点がほしい(B)
点取り虫(A)→学習意欲(B)
派手な服装をして他人から認められたい(A)→尊敬、信頼をうけることによって 他人から認められたい(B)
◎欲求と意欲の違い
⑴欲求は動物にもあるが、意欲は人間固有の欲望である。
⑵欲求は刹那的で短時間に終わる傾向があるが、意欲は長い時間持続する。
⑶欲求は「自己制御性」(充足されると消失する)があるが、意欲は「自己制御性」が乏しい。
⑷欲求は没論理性があり、客観性が乏しいが、意欲は明瞭な目的観をもっている。欲求は「かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ○○心」であり、意欲は「かくすれば かくなるものと知るゆえに やらねばならぬ○○心」である。
⑸意欲は、論理的な思考と結びつきがある。社会性、価値観が入り込んでいる。金がほしいと思い、目前の金を盗ることより、努力して金持ちになる方が価値観が高い。価値観が高ければ、社会的に容認される。
《二 情操と意欲》
・意欲は情緒との結びつきが濃い。
◎意欲と情操に共通している特性
〈情緒・欲求の領域〉即事的、刹那的行動 没論理的 価値観、社会性乏しい
〈情操・意欲の領域〉目的的、持続的な行動 論理的な内容を包含 価値観、社会性濃い・他人から認められたいという欲望は、誰でももっている。それが派手な服装をすることによって認められたいというのは欲求のレベルである。それに対して、他人から尊敬を受け、信頼される人として認められたいというのは意欲である。人を尊敬する、信頼するという心情は情操である。その情操が育っていなければ、そのような人間になりたいという意欲も育ってこない、といえるだろう。
・豊かな情操が育っていなければ、意欲も育たない。
◎欲求の例
・空腹の不快を避け、目前の食事をとって満腹の快を追う。
・金が手元にないという不快を避け、目前の金を持つという快を追う。
・他人から無視される不快を避け、派手な服装をすることによって認められる快を追う。◎意欲の例
・空腹の不快を避け、社会的に容認される方法で食事を満足にできる身分になる、という快を追う。
・金が手元にないという不快を避け、努力することによって、金が十分に手に入る身分になるという快を追う。
・認められないという不快を避け、他人から尊敬を受けるという快を追おうとする。
◎この意欲と欲求を総称したものが欲望である。(学問的には論議のあるところであろうが・・・)
【感想】
ここでは、食欲、性欲、睡眠の欲求、獲得欲求、愛情欲求などの基本的欲求が、変化をとげて意欲という欲望になっていくこと、欲求と意欲の違い、意欲と情操の共通点について述べられている。要するに「豊かな情操が育っていなければ、意欲も育たない」ということが、よくわかった。
欲求を意欲に高めるためには、情緒を情操に高めなければならない。しかし、それは言葉でいうほど容易ではなく、ほとんどの場合、成人しても欲求、情緒の段階にとどまっているのが原状ではないだろうか。多くの対立、事件などを見ても、「ついカッとして」とか、「ほしくて我慢できなかった」とか、「恨みがあった」とかいう事例は枚挙にいとまがない。
どうすれば、情緒を情操にまで高めることができるかが、人間として成長するための、さらにまた、豊かで平和な社会を形成するための最重要課題であると思うが、その方法はよくわからない。個人の問題か、社会のあり方の問題か、著者はどのように考えているのだろうか。期待をもって、次章を読み進めたい。
(2017.1.12)
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