梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

大衆演劇・劇団素描「劇団菊」(座長・菊千鶴)

【劇団 菊】(座長・菊千鶴)〈平成20年4月公演・立川大衆劇場〉
 午後6時、立川大衆劇場に到着、木戸口で入場料を払おうとしたら、小屋のおじさんから、「まだ客が誰も来ていないから、中に入って待っててください」と言われた。「ああ、今日はやらないかも知れないんだ」と、私が言うと、おじさんは黙って肯いた。小屋のおばさんが、どこかに電話している。「あの人たちが来れば、できるかもね・・・」これまでにも、客が一人しか来ないので「芝居ができなかった」という話を聞いたことはあったが、まさか、自分がその一人になろうとは、なんともやるせない気持ちでいっぱいになった。しかし、二十分ほど経つと、客が三人に増え、まだ後から二人来るという。結局、観客6人で、開幕となった。「劇団菊」(座長・菊千鶴)。「劇団紹介」によれば、「プロフィール 劇団菊 昭和54(1979)年に故・市川菊三郎が「市川劇団」として創立。その後、菊千鶴座長が昭和62(1987)年1月に引き継ぎ、「劇団菊」と名づける。チームワークを大切にした、アットホームな、なごみ系の劇団で、たくさんの役者仲間が遊びに来るという。現在総勢18名で、関東を主に巡業している。座長 菊千鶴 昭和38(1963)年9月7日生まれ。神奈川県出身。血液型AB型。母とともに、当時あった「劇団ママ」という劇団の座長大会を観に行き、それがきっかけで15歳で役者の道に入る。子どものころ、歌手になりたかったという座長は、美空ひばりの歌が好きで、座長自身もそれを十八番とする。お芝居では、三枚目や、汚れ役などを好む」とある。キャッチフレーズは、「自然と人が集まる、楽しい劇団。座長をはじめ、劇団員みんな、とても気さくでアットホーム。『劇団菊』を観に来ると、お姉ちゃんの家に来たような、そんな感覚になってしまいます」であった。なるほど、開演三十分前に客は私一人だったが、「自然と人が集まって」6人になった。そういえば、芝居に登場した女優(市川千春?)が、「ああ、おなかすいた。こんなことだと、やせちゃうわ。たいへんたいへん」と客席に話しかけると、すかさず常連客がお菓子をプレゼントする。まさに「アットホーム」な「やりとり」であった。役者は、座長・菊千鶴、副座長・浅井浩次、花形・菊小菊、名花・菊小鈴、女優・南ゆう佳、市川千春、市川千夏、男優・菊おさむ、ひびきじゅん、りゅうせい(?)、子役・りな、3歳男児、などという面々であった。いつも思うことだが、どうして各劇団は、役者の紹介を「きめ細かに」「ていねいに」行わないのだろうか。一つには、「また来ておぼえてください」というもくろみがあるかも知れない。しかし、役者にとって最も大切なことは、自分の名前を「売る」ことではないだろうか。
 芝居の外題は「佐渡情話」。身代が千両を下らない大店の若旦那(菊おさむ)は、身を持ち崩し、今ではやくざ一家(親分・浅井浩次)の若い衆になっている。そこへ、お店の女中(市川千夏?)が訪ねてきた。訊けば、「旦那様は亡くなり、奥様も病の床に伏している」という。若旦那はおどろき、さっそく「店に帰る」ことにする。事情を親分に話すと、「早く帰ってやんな」と路銀まで施してくれたが、それは表向き。旅鴉(菊おさむ・二役)を刺客にして、若旦那の大店を乗っ取る魂胆だった。親分のもくろみ通り、若旦那と女中を始末した旅鴉、「若旦那」として大店に乗り込んだ。なぜか、その「いきさつ」を調べあげている、若旦那の幼友達・庄屋の倅・今は役人(菊小菊)の活躍で、舞台は閉幕となったが、誰が、どうして、どうなったのか、詳細は思い出せない。それというのも、「座長は、いつ出てくるのか?」ということが気になって、筋書どころではないうちに、いつのまにか芝居は終わっていた、という次第である。すぐに、「座長口上」ということで、ついに座長登場、その姿を見て驚いた。なんと、大店の「奥様」(若旦那の母親)役だったのだ。(その時まで、座長が男優なのか女優なのかも私は知らなかったのだが・・・・)若手男優・菊おさむ、副座長・浅井浩次、花形・菊小菊を「目立たせ」、自分は「脇役」に徹しようとした「演出」もまた、「アットホーム」であった。
 舞踊ショーでの「舞踊」や「歌唱」は、「水準」以上で、「実力者」が揃っていた。中でも、名花・菊小鈴の舞踊「浜千鳥情話」、座長・菊千鶴、花形・菊小菊の「歌唱」、子役・りなの「大阪すずめ」、ベビー?(3歳男児)の「おまつり忍者」が、印象に残った。「満劇団」の子役・浪花の若旦那も3歳男児である。彼が、大人の中に混じって踊るのに比べて、ベビー?は「独り舞台」で演じていた。実力は拮抗している。
 観客数は6人、舞踊ショーのラスト、舞台に勢揃いした役者は11人、どちらが「観客」かわからない様相だったが、やはり、「お互いのためにも」、観客数は10人以上とすべきではないだろうか。
(2008.4.10)