梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

『「自閉」をひらく 母子関係の発達障害と感覚統合訓練』(つくも幼児教室編・風媒社・1980年)精読・13

《9.自閉論への寄与》
・田口理論やティンバーゲン夫妻の理論をめぐって、心因論か素質論か器質論かをあげつらってみても、あまり生産的ではないかもしれない。
・田口理論の持つ最も重要な意義は、「言語発達遅滞」児にとっても、正常に発達した児童とまったく同様に、母子関係が言語発達の基盤である、という命題を再確認した点にあるといえよう。この命題は、たとえばイギリスのローナ・ウィング編『早期小児自閉症』のごとき、言語障害を中核とする多面的な障害群が自閉の原因である、という命題とは正反対の立場に立つ。
・私自身は、この基本的な命題に関して田口理論に好意的である。ウィング理論のように、自閉的な子どもの基本的な障害が、たんに言語だけでなく、言語以前の音声や動作や象徴を用いたコミュニケーションにも及び、しかも、理解、模倣、表現のすべてにわたっている、というのは、理論上いかにも受け入れがたいうえに、それらのコミュニケーション障害に加えて、感覚障害、運動障害、自律神経機能の異常など総計23項目にもわたる障害が基本的な障害として想定されたのでは、治療上の悲観主義に陥らざるを得ないからである。
《10.結語》
・以上、田口理論の基本的な命題の正しさを承認したうえで、「言語発達遅滞」という表現は混乱を招くおそれがあること、母子関係の成立を阻害する原因を直接児童の側に求めるべきであり、その追求が不十分なために心因論に傾きやすいこと、「喜ばせる」活動に過小評価がみられること、母子関係が成立した以後の発達援助が不可欠であること、集団保育に過度に消極的な助言が与えられる危険がはらんでいることを指摘した。
・それらの問題点にもかかわらず、自閉論をさらに深めるためには、心因論か器質論かよりはむしろ、
田口理論の基本的な命題の正しさをめぐって論議が展開されてよいことを強調した。
【感想】
・田口理論の問題の核心は、母子関係を育てるために「人にしてもらって楽しい活動」をいろいろ探し出して、それを「総量として1千時間くらいを目標に」子どもにしてあげることを推奨した。しかし、その通り実践しても「経過のはかばかしくない子どもがおおまかにみて三分の一くらいいること、その子どもたちには何か共通した問題があるようだということにまもなく気づいた」。その「共通した問題」とは、母子ともに不安や緊張が高いことである、という中で、子どもたちの「不安」「緊張」の原因や対処法については『言補発達の臨床 第2集』で詳細に分析・追求されているのに比べて、母親の側の「不安」「緊張」についての考察、対処法が《不十分》な点であると言えるかもしれない。その結果、田口理論は「母親から支持されない」ことが多いようである。
・著者は「田口理論の基本的な命題の正しさをめぐって論議が展開されてよいことを強調した」と本稿を結んでいるが、その命題は論議されることなく「誤った心因論」として葬り去られてしまったように思われる。
・なぜだろうか。学者・専門家間の「対立」「葛藤」「勢力争い」は別として、田口氏らがかかわった子どものうち「経過のはかばかしくない子どもがおおまかにみて三分の一くらい」いた。その子どもたちの母親は、おそらく田口理論の命題を理解できなかったか、受け入れられなかった(拒否した)に違いない、と私は「邪推」する。
・①子どもの異常に気づいたがその改善を「他人任せ」にする(消極的拒否傾向)、②育児に自信がなく「不安」(情緒不安定・ノイローゼ)から脱しきれない(不安傾向)、③両親の育児態度が異なる(不一致傾向)、④親族の育児態度が異なる、⑤独自の育児理念・方針を固持している等々といった、大人(親たち)の側の問題に対して「きめ細か」で「持続的」な対応が不足していたのではないだろうか。
・さらにまた、現代社会の「育児法」も大きく影響しているに違いない。「哺乳びん」「紙オムツ」「ベビーカー」などの育児用品は、その利便性のゆえにますます普及・拡大しているが、反面、母子関係の「密度」は次第に薄められていく、そうした風潮の中で田口理論が「復活」することは半ば絶望的なのである。(2016.3.28)