梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

『「自閉」をひらく 母子関係の発達障害と感覚統合訓練』(つくも幼児教室編・風媒社・1980年)精読・12

《8.集団生活に入れる時期》
・母子関係ができて初めて他児への関心が育ってくるのが発達の原則であるから、早すぎる母子分離が子どもの発達の基盤を弱めてしまう危険は十分にある。「お母さんから離れたがらない子どもを子どもを無理に引き離して、子どもの成長のためにはよいことはひとつもありません」という助言は適切だが、「私どもの所にかよっている来て本当に良くなった子どもでその間ずっと幼稚園に行っている子どもは一人もいないのですとまで言い切るのは、どんなものであろうか。
・一口に母子関係が育ち切っていない子どもといっても、母子関係の発達段階や社交欲求の発達段階や分離不安の強弱や家庭の事情などさまざまであり、幼稚園なり保育所なり通園施設なりが、通園日数や通園時間や保育形態などその子どもの受け入れ体制に十分な配慮を払うことによって、重要な役割を果たし得る場合も少なからず存在しているのである。不安の強い子どもに、「一方で喜ばせようと努力はしても、一方ではしつけや集団参加のことが気になり、よかれと思って幼稚園に通わせたり、身辺自立の訓練をしている」親が多く、「親の不安や緊張が高いことがひとつの共通点」だと指摘されているが、集団生活の無差別の否定論とも受け取れる表現が、親の不安や緊張をいっそうたかめてしまうことを恐れるものである。
・自閉的な子どもを普通児集団の中に積極的に入れるべきだ、などと無原則に主張する気は毛頭ないが、集団生活の適否は、個々の子どものその時点での発達段階によっておのずと異なり、一概には論じられない、と私たちは考えている。母子関係が十分に育ち切っていないにもかかわらず早くも友だち付き合いを求める子どももいれば、子どもが通園している間にすっかり家事を片付けてしまうことで、帰宅した子どもと母親が全面的に付き合えるようになる、という家庭事情のこともあるわけである。
【感想】
・子どもを集団生活に入れる時期は、「他児への関心が育ってきた」時であり、それは「子ども自身が決める」ことを原則とすべきである。近所や公園で他児の遊びを注視したり、その中に加わろうとする様子が見られる時である。その時期は個人差があるが、通常、3歳過ぎということになるだろう。
・自閉的な子どもが集団生活に入ろうとしないのは、他児に対する関心よりも「不安」「恐れ」が強いためである。乳児期「人見知りをしない」など、母子関係はもともと希薄だったのだから、もし「お母さんから離れたがらない」とすれば、それは極めて明るい材料である。今こそ、母子関係をしっかりと成立させるための絶好のチャンスがやってきたと考えて、子どもの愛着行動と母親の母性行動の「相互反応」を活性化することに専念すべきであろう。
・しかし、親の不安は別にある。他児と比べて「わが子ができないこと」「やろうとしないこと」が気になり、早く「できるようになってほしい」と焦り出す。家の中に置いておくよりは、集団生活に入れ「他児の言動」を「真似するようになってもらいたい」と切望する。そうした焦燥感は、自分自身の「育て方に自信が持てない」という不安を源にしているかもしれない。田口氏は「一方で喜ばせようと努力はしても、一方ではしつけや集団参加のことが気になり、よかれと思って幼稚園に通わせたり、身辺自立の訓練をしている」親が多く、「親の不安や緊張が高いことがひとつの共通点」だと指摘している。まさに「その通り」だと、私も思う。それは、著者の言う「集団生活の無差別の否定論」ではなく、「集団生活至上主義の否定論」なのである。
・また、著者は〈「私どもの所にかよっている来て本当に良くなった子どもでその間ずっと幼稚園に行っている子どもは一人もいないのです」とまで言い切るのは、どんなものであろうか〉と疑問視しているが、田口氏は《ずっと幼稚園に行っている子ども》で《良くなった子ども》は一人もいなかった、という事実を紹介しているに過ぎない。その《ずっと》の中に、「お母さんから離れたがらない子どもを無理に引き離して」という意味が含まれていることは当然である。ただ単に「幼稚園に行っている子どもは一人も良くならない」という「集団生活の無差別の否定論」を述べているわけではない、と私は思う。
・田口氏の言う「親の不安や緊張が高い共通点」は、いわゆる「保育園落ちた」(保育園不足)問題でも明らかなように、昨今の現状でも頻繁に見られる。派遣社員である母親は子どもを預けて働かなければならないが、適当な保育園が見つからない。そうした「不安や緊張」が子どもに《感染》する。しかも、最も不足しているのが《1~2歳児》を預かる施設だという。発達的に見て、まさに母子の「愛着関係」を育てなければならない重要な時期に、母親は「保育所探し」で奔走する。子どもの側からの「愛着行動」と母親の側からの「母性行動」の「相互反応」が妨げられることは必定であろう。
・田口氏の言う「一方で喜ばせようと努力はしても、一方ではしつけや集団参加のことが気になり、よかれと思って幼稚園に通わせたり、身辺自立の訓練をしている」親に加えて、「一方では自分の復職や社会参加のことが気になり、あたりまえだと思って保育園に預けたり、身辺自立の訓練をさせている」親も増えているのが現状なのある。
・それゆえ、今後ますます「自閉症スペクトラム」「ADHD」もしくは《発達障害》というレッテルを貼られた、気の毒な子どもたちが増えていくことは間違いない、と私は思う。(2016.3.28)