梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

『「自閉」をひらく 母子関係の発達障害と感覚統合訓練』(つくも幼児教室編・風媒社・1980年)精読・9

《4.心因論への偏り》
・田口理論の問題点のひとつは、心因論に傾きやすい点である。
・『第1集』において生得的に愛着行動が弱い事実は認められているにしても、それによって誘発される育児行動が少なくなることが直接の原因として重視されている。
・『第2集』以後では泣かない子どもに加えて逆に「泣き出すと何をしても泣きやまずに苦労した」という子どもが存在することも認められるようになるが、その場合にも、そうした生得的な萎縮傾向自体よりは、そうした傾向を持つ子どもに対して萎縮閾値を越えた育児刺激が与えられることが重視されている。あくまでも母親の養育態度が直接の原因として強調されやすいのである。「子ども側の異常が問題の発端になっている」とは、いかにも微妙な表現である。問題の発端は子どもの側の異常にあるが、直接の原因はやはり母親の育児行動にある、ということか。
・田口理論を裏づける根拠として、母性剥奪に基づくハーロウの実験や、心因論の立場に立つティンバーゲン夫妻が引き合いに出されることも、心因論への偏りを印象づける方向に働いている。
【感想】
・母子関係は、子どもの側からの愛着行動と母親の側からの母性(育児)行動の「相互反応」よって育てられる。もし子どもの愛着行動が不十分だった場合、母親はどのような母性行動(育児)を行えばよいか、また母親の母性行動が不十分だった場合、母親はその行動をどのように改めればよいか、ということが問題になるわけで、いずれの場合でも「相互反応」を活発にし、母子関係を成立させていくのは「母親の側」でなければならないということになる。「あくまでも母親の養育態度が直接の原因として強調されやすい」のは、そのためだと私は思う。
・田口理論は「子ども側の異常が問題の発端になっている」場合でも、子ども自身がその異常を受け入れざるを得ないのだから、問題を解決するのは「母親の側」であることを強調しているに過ぎない。それが、保護者の「保護」という意味であり、「母親の側」つまり「両親」の責任ということになる。それとも、子ども側の異常は子ども自身にあるのだから、保護者である両親には「なすすべがない」とでも言うのだろうか。(2016.3.25)