梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

『「自閉」をひらく 母子関係の発達障害と感覚統合訓練』(つくも幼児教室編・風媒社・1980年)精読・3

【第1部 理論】 
《第1章 ウィング理論を超えて》(阿部秀雄)
《1.あまりに多面的すぎる》
・ウィング夫妻らの自閉論の特徴は、自閉を派生的な(二次的)な障害としてとらえる器質論的共通の立場に立ちながら、基本的(一次的)な障害は単一のものではなく、言語障害を中核とする多面的な障害群から成っている、と考える点にある。
・『早期小児自閉症』(第2版)(ローナ・ウィング編・1976年)の第2章「診断・臨床的記述・予後」の中で、ウィング女史は、「基本的障害」、「特別な能力」および「二次的行動障害」という三つのカテゴリーに従って、以下のような「臨床像の記述と診断のための目録」(訳・阿部秀雄)を掲げている。


*A 基本的障害
1.言語とコミュニケーションの障害
 a 話しことば 
ⅰ ことばを聞いて理解する面での障害
ⅱ ことばを話す面での異常(無言症、反響言語、紋切型の語句の繰り返し、代名詞の混乱、文法構成の未熟、受容性失語症に似た異常)
ⅲ 声の高さ、強さ、抑揚を調節できにくい
ⅳ 発音の異常
b 話しことば以外の言語と非言語性コミュニケーション
ⅰ 身振り、ものまね、表情、態度、語調などの情報を理解できにくい
ⅱ 身ぶり、ものまね、表情、態度、語調などを用いて情報を伝えることができない。2.感覚経験に対する異常な反応(無関心、嫌悪、熱中)
  ⅰ 音に対する異常な反応
  ⅱ 視覚刺激に対する異常な反応
  ⅲ 痛みと寒さに対する異常な反応
  ⅳ 触られることに対する異常な反応
  ⅴ 感覚経験に対する「矛盾」した反応
3,視覚認知における異常
  ⅰ 視野の中央ではなく周辺部分を利用する。
  ⅱ 人や物をじっと見つめずに一瞬ちらっと眺める。
4.運動模倣の障害
ⅰ 動きを見てまねることができにくい
ⅱ 左と右、上と下、前と後を混同する。
5.運動統制の障害
ⅰ とびはねる、手足をばたつかせる、からだをゆする、顔をしかめる
ⅱ つまさきだちで跳ねるようにして歩く
ⅲ 立っているとき、奇妙な姿勢をとる
ⅳ 自発的な全身運動または手先の細かな活動のどちらか、または両方とも不器用な子どもと器用に機敏にできる子どもがいる。
6.自律神経機能、平衡感覚、身体発達の異常
ⅰ 睡眠の問題、鎮静剤・睡眠剤が効きにくい。
ⅱ 食事の問題、水をたくさん飲みたがる。
ⅲ ぐるぐる回っても目まいがしない。
ⅳ あどけない顔つき、顔の均整がよく取れている。
B 特別な能力
1.言語を必要としない能力
 音楽、計算、機械や電気製品の分解や組み立て、はめ絵や組み立て遊具など。
2.異常なほどの記憶力
 事物を最初に知覚したとおり正確に長い間記憶している能力
C 二次的行動障害
1.他人、子どもたちから孤立し、無関心であるように見える。
2.変化に対する強い抵抗、事物や手順への執着、特定の話題に対する常同的で非創造的な関心。
3.不適切な情緒反応
4.想像力の欠如
 a 想像遊びや創造活動ができない。
 b 人や物の全体に注意を払わずに、重要でない、ささいな部分に注意を払う。
 c 常同行動、紋切り型の動作、自傷。
5.社会的に未熟で、扱いにくい行動


・女史らの理論は、一見したところ、一面性を免れたごく妥当な理論のように思われる。しかし、女史らの理論をそのまま受け入れることは、療育上の悲観主義、その裏返しとしての訓練主義に陥ることになる、と私は考えている。なぜなら、療育上の明確な指針をあたえられないままに、総計23項目にもわたる基本的な障害群をひとつひとつ解消していくことは、ほとんど絶望的な課題だからである。事実ウィング女史も「自閉症児は何年間にわたって集中的なオペラント条件や、設定された教育プログラムを行っても進歩は少なく、他の状況への一般化もむずかしい」「オペラントの技法は、それが適用されている間のみ、問題行動を軽減するのであって、基礎にある認知の障害まで治療するものではない」ことを認めている。(第3章「疫学的研究と原因に関する理論」) 
【感想】
・著者はウィング女史らの「臨床像の記述と診断のための目録」を紹介して、「あまりにも多面的すぎる」と批判している。私も異存はないが、さらに言えば、その多面性の「整理の仕方」(仮説)にも誤りがあると思う。女史らは「A 基本的障害」として、①言語とコミュニケーションの障害、②感覚障害(聴覚、視覚、触覚など)③認知障害、④運動模倣、運動統制障害、⑤自律神経機能等の異常を挙げているが、なぜそれらが基本的障害と言えるのだろうか。自閉症の特徴(本質)は、むしろ女史らが「C 二次的行動障害」として示した、①周囲からの孤立、②変化への抵抗、③不適切な情緒反応、④想像力の欠如、⑤社会的に未熟で扱いにくい行動、などの方にあるのではないだろうか。Aの基本的障害がCの二次的行動障害の要因であるとする《根拠》は何か。私の独断と偏見によれば、自閉症の基本的障害は「C 二次的行動障害」の方である。まず第一に「不適切な情緒反応」(環境に対する不安と緊張状態→情緒的不安定)「自律神経機能の失調状態」が「周囲からの孤立」「変化への抵抗」を招き、それが「社会的に未熟な行動」から抜け出せない状態を「余儀なく」させているのである。女史らが第一義としている「基本的障害」は
「非自閉症児」にも頻繁にみられる行動であり、それらが「たまたま」自閉症児にも見られるに過ぎないのである。
 1990年代以降、ローナ・ウィング女史らは「自閉症スペクトラム」という概念を提唱し、その診断基準として ①対人関係の形成が難しい「社会性の障害」、②ことばの発達に遅れがある「言語コミュニケーションの障害」、③.想像力や柔軟性が乏しく、変化を嫌う「想像力の障害」を挙げている。それは、1970年代の「臨床像の記述と診断のための目録」と比べて、大きく様変わりしていることに、私は注目する。女史がまず筆頭に掲げているのは、《対人関係の形成が難しい「社会性の障害」》であり、かつては「二次的行動障害」の一つと見なされていた「社会的に未熟な行動」に他ならないのである。
 また、「スペクトラム」(連続体)という概念を導入したことも大きな変化である。「自閉」と「非自閉」の《差》は「連続的(量的)に変化」しているということであり、双方に「質的な差異はない」ということになる。
 著者は1980年代、「まえがき」で〈近年自閉症の原因論が心因論から器質論へとコペルニクス的転回を示していることには全面的に同感である〉と述べたが、2010年代、その転回がさらなる転回をして「もと返り」するのか、それとも新しい展開をみせるのか、私にはたいそう興味深い問題である。(2016.3.17)