映画「カサブランカ」(監督マイケル・カーチス・1942年)
映画「カサブランカ」(監督マイケル・カーチス、原作マーレイ・バーネット、出演ハンフリー・ボガード、イングリッド・バーグマン、ポール・ヘンリード、クロード・レインズ・1942年)《「世界名作映画BEST50」DVD・KEEP》を観た。「作品解説書」には以下の通り述べられている。〈この映画を見ずしてアメリカ映画を語れない。と言われるほどの名作である。ドラマチックでスリリングで、反ナチの思いが強烈に語られる永遠のロマンである。ハンフリー・ボガードとイングリッド・バーグマンという世紀の顔合わせである。第二次大戦中ナチの統治下におかれたモロッコのカサブランカ。亡命者たちがひしめくこの町で偶然再会するボガードとバーグマン。二人はかつてパリで愛し合った仲。戦火のパリで別れたままボガードは今ではカサブランカで賭博場を経営している身。バーグマンは抵抗運動にすべてをかけた男の妻。あの有名なラストの別れ。「君の瞳に乾杯」「我々にはパリの思い出がある〉」という数々の心うつ言葉。この映画、実は元大統領ロナルド・レーガンの役者時代、彼の為に企画されたものだった。しかし彼は他の作品でスケジュールが合わず、ギャング・スターのジョージ・ラフトに廻った。ラフトは人の企画はいやだと断りボガードに廻った。彼女の方もアン・シェリダン、へディ・ラマーと廻り、脚本を読んで感動して出演を熱望したバーグマンのものとなった。ラストも三種類撮られ検討の結果ご覧のものになったのである。(1942年・アメリカ)
この映画の眼目は、「反ナチの思いが強烈に語られる永遠のロマン」であることは間違いないのだが、ハンフリー・ボガードとイングリッド・バーグマンという世紀の顔合わせが、ロマンとしてはおよそ似つかわしくない「異色の顔合わせ」に終始している点にある、と私は思う。バーグマンは、その容貌・立ち居振る舞いからして、「抵抗運動にすべてをかけた男の妻」がふさわしい。片や、理想に燃え、思想・信条に命を献げようとする正義感、一方、ボガードは闇世界を生きる賭場の貸し元ではないか。その二人を、あの理知的で高貴な風情のバーグマンが「同時に」愛せるなんて、正気の沙汰とは思えない。といったあたりが、この映画の見どころであろう。さすがに「脚本を読んで感動して出演を熱望した」だけあって、バーグマンの絵姿は際だっている。夫の前では理想、純愛を貫こうとする健気な女、恋人の前では不倫覚悟で性愛(愛欲)に迷う不条理さを見事に描出していたのだから・・・。彼女の言葉「もう我慢できない」、そうなのだ。愛欲は、思想・信条・理想などといった価値観とは無縁のところで成立する、という「真実」を彼女は鮮やかに描出していた。ボガードの前のバーグマンは、すべての緊張から解き放たれた裸の表情を露わにする。「もううどうすればよいか分からない」「あなたが考えて・・・」等など、そのちぢに乱れる姿に「女の本性」を見る思いがして、私は鳥肌が立つことを抑えられなかった。それに比べれば、ボガードはじめ、彼女の夫、警察署長らの男性陣は単純そのもの、闘魂、勇気、侠気、腹芸等々、それぞれがそれぞれの「味わい」を演出してはいたが、所詮「条理の世界」を超える言動は見受けられなかったように思う。可愛い、可愛い。強面のボガードが、「君の瞳に乾杯」「我々にはパリの思い出がある」などと、思いっきり二枚目ぶっても、不条理な女の本性は癒されまい。かくてバーグマンは再び、我慢を覚悟(愛欲の断念)、夫の思想・信条・理想に殉ずることを決意してアメリカに向け旅立ったのである。そこはには不倫とも性愛とも不条理とも無縁な、政治という健全な世界(表舞台)が待っているであろう。「めでたし、めでたし」というべきか否か・・・。この映画の製作は1942年、まだ世界は大戦中であったことを思えば、「これからが正念場」ということになる。「解説」によれば三種類のラストがあったそうな。あとの二種類はいかようであったか、興味をそそられる話である。いずれにせよ、この作物は「第16回アカデミー賞作品賞、監督賞、脚色賞」を受賞している由、文字通り「世界名作映画」にふさわしい幕切れであった。
(2010.5.12)
カサブランカ・最後の場面/ Casablanca Final
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