梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「自閉症 治癒への道」解読・《31》第10章 事例(10)【出版されている六つの論文】(4)コープランド&ホッジス「愛の軌跡」(アン)

◎要約
【出版されている六つの論文】
《④.コープランド&ホッジス「愛の軌跡」》(アン)
・アンは第二子で、兄が1歳4か月の時に生まれた。出産は正常だったが、「一時的仮死状態」になった。(事故?)
・アンは初めから極端におとなしい赤ちゃんで「そこにいることを忘れてしまいがち」だった。
・発達が正常でないことが明らかになり自閉症症状すべてを表してきた。(喃語を発しない。ほんの少ししか眠らない。離乳食を食べさせるのがたいへん。長泣きを始めた。部屋の電球に笠をかけようとすると泣き声が強まった。)
・10か月で歩きはじめた。
・1歳2か月目には、抱き上げられるのをひどくいやがった。うつろな目で宙を見つめ、手を取られるとかんしゃくを起こした。壁や床に頭を打ちつけた。椅子と人形に執着した。(椅子に座ってたえまなく体を動かしていた)自分の髪に毛を引き抜いて、口の中に詰め込んだ。
・1歳8か月の時、第三子が生まれた。
・2歳過ぎの頃、大きな犬に襲われて16時間休みなく泣き続けた。その時以来乳母車にいる時しかおとなしくしていられなかった。
・3歳頃には、あまりひどく泣き叫ぶので、虐待されているのではないかと思って警官がやって来た。
・6歳8か月の時、ある医師から自閉症と診断された。「教育を受けられるようになる可能性は乏しい、あなたがたを親だとわかるようになりそうもない」と言われた。
・両親には自閉症の原因として思いあたることがなかった。(出生直後の仮死状態、1歳8か月の第三子誕生、母方の祖母の死、犬に襲われたことなどが、発生要因として考えられる)
・両親は最初からアンをとてもかわいがって育てた。医師から絶望的なことを言われても「アンは障害児ではない」「アンを施設などには絶対入れない」と決めていた。
・その後は典型的な「自己流治療」の物語である。
・アンは終始一貫、愛情に満ちた家族の一員であった。
・一家が新しい家に引っ越したあと、アンはパニックを起こしたが、(忍耐強い観察により)その原因が、風にゆれる大きな藪だとわかり、それを切り倒すと、たちまち効果があらわれた。
・また、「一人でスプーンで食べること」「泣き叫んで抗議することを無視すること」「物に触らせること」等、アンが「しようとしないこと」に対して、なんとかやらせようとたいへんな努力をした。(強制法にも不断の注意をはらい、工夫をこらしていた)
・5歳半の頃、浜辺でアンは「トロリー」(押し車)から降りようとしなかったが、トロリーが転倒してアンは、砂浜(新しい場面)に投げ出された。彼女は抗議しパニック状態に陥ったが、しばらくすると砂で遊び始めた。そのことは、両親にとって「興奮を覚える」ほど思いもよらぬことであり、父親は何日もたったあと(アンに飛躍的な前進をもたらしたのは)「暴力(転落のショック)だ」と叫んだ。以後、両親は(時々必要なら叩いても)強制的なステップバイステップの指導をやってみることにした。
・さらに、ジョージ・グローバーという教師(知恵遅れの子どもを教えている)も、アンの指導に参加した。彼は、アンの行動をできるかぎりよく観察・記録するという習慣を両親に支援したり、彼の学校の子どもたちにも「アンとの交流」の手伝いをするように計らってくれたりした。また、2歳の男児が川に落ち、そのショックで「自閉的」になった事例を(両親に)紹介している。
・アンは21歳になった時には、正常で明るく能力もあり、タイプも習い、しだいに積極的になっており、ことばも大幅に進歩、その他の面でも明らかな改善を示していた。
・24歳の時には、英国のテレビ番組にたびたび出演したこと、ボーフレンドができたこと、車の運転も上手なこと、恩師・ジョージ・グローバーの葬儀に出席したいと言っていること等、「もう正常な若い人々と同じようにふるまっている」と思われる。


《感想》
 この事例のポイントは、①6歳8か月の時、医師から自閉症と診断され「教育を受けられるようになる可能性は乏しい、あなたがたを親だとわかるようになりそうもない」と宣告された両親が、それに抗して「アンは障害児ではない。施設などには絶対い入れない」と決心したこと、②両親は「自己流治療」を始め、必要なら「叩くことも辞さない」強制的な指導法を行ったこと、③しかし、指導法は「アンが愛情に満ちた家族の一員である」という固い信念に支えられていたこと、④その結果、24歳になったアンは「正常な若い人々と同じようにふるまう」まで回復成長することができた、ということである。もし、両親が医師の診断・宣告を信じ、それに従っていたらどのような結果になっていただろうか。「自閉症は治らない(教育不能である)」という学説を証明することは簡単である。何もしなければ、そのことを証明できるのだから。とはいえ、「現代社会」の専門家が「何もしていない」とは思わない。ではいったい、専門家は「何」をしているのだろうか。おそらく「自閉症状」の軽減・回復をめざして「医学的」にアプローチする、自発性を育てるために「教育的」にアプローチする、対人関係・コミュニケーションをスムーズに行えるようにするためのスキルを開発する等々、千差万別の取り組みが展開されているに違いない。しかし「自閉症は治らない」という一点では《共通》しており、「自閉症は個性である」「自閉症者(およびその両親・家族)の基本的人権は守られなければならない」といった論調が主流になっている、ように私は感じる。はたしてそうだろうか。(2013.12.21)