梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「幼児の言語発達」(村田孝次著・培風館・1968年)抄読・90

9 初期語連鎖から文へ・・・その形式面・・・
【要約】
 1語による談話(“1語文”)のつぎに、二つの語を連鎖した談話が現れてくる。しかしこれは本格的な文の段階にはいったことを意味せず、1語談話のいろいろな特性を残している。このような原始的な語連鎖から文形成の初歩への特異な発達的変化をたどってみる。


20 初期の語連鎖
 1語形式に限られていた談話に、2語の連鎖形式が加わってくるのは、1歳の中ごろが普通であり、言語地域差はない。
 初語の出現時から語連鎖の出現時まで、短くて4~5カ月はかかる。初期の語連鎖は、シンタックス性がみとめられない偶然的あるいは羅列的な型である。
《語連鎖の分類基準》(略)
《語連鎖の長さ》(略)
《語連鎖の成因》(略)
■語連鎖の分類 模倣型・並置型・複合型(略)


■日本児の初期の語連鎖
《自立語と付属語》
 日本語の文を構成する語の最も上位の区分は、自立語と付属語のそれである。
⑴ “自立語”とは、その幼児の過去の自発的な談話のなかに独立して現れたことのある語をいう。
⑵ “付属語”とは、その幼児の過去の自発的な談話のなかに独立して現れたことのない語をいう。
 「パン ヤ」「チャーチャン ヤ」「ワンワン ヤ」という談話で「パン」「チャーチャン」「ワンワン」は単独で談話を作ったことがあるので自立語、「ヤ」は単独で談話を作ったことがないので付属語、である。
《自立語の種類》
 初期段階では、自立語は、対象語・状態語・要求語・動作語・感嘆語・呼びかけ語・応答語(拒否語)・質問語などに分けることができる・
《付属語の種類》
 付属語は助詞に限られる。助詞に2種類が区別される。
⑴自立語の間にあって、それらの相互従属関係あるいは相互限定関係を規定するという役をする助詞がある。これは示格語あるいは叙述助詞であり、テニヲハといわれるものである。
⑵話し手が聞き手に対して自己の訴え、あるいは情意を表示する役を果たすものがある。これは感嘆助詞、終助詞、あるいは陳述助詞である。
 叙述助詞は、日本語の文の要をなしている。日本語の文が一定の語順にしばられないのはこの助詞の存在に負うところが大きい。
 叙述助詞の種類はごくわずかだが、使用頻度はきわめて高い。日本語のほとんどすべての文において軸となる語である。
 一方、コレ ワ ハナ ヨというときのヨ、イー ナーというときのナーが陳述助詞である。この助詞は論理的には談話に何も付加せず、伝達された情報を豊かにするものでもない。陳述助詞を省いて話すことは不可能ではなく、情報伝達にはまったく支障はない。しかしそれを省くことによって対人接触はいちじるしく円滑さを失い、談話としての効果を損ねてしまう。 
   
【感想】
 ここでは、1語文から2語文へと「語連鎖」が現れる経過、現れ方について、日本児の事例が挙げられている。子どもの談話の中に独立して現れる語を「自立語」といい、独立して現れない語を「付属語」という。この分類は、学校文法で馴染み深いが、時枝文法では「自立語」を「詞」といい、「付属語」を「辞」という。「辞」とは、話し手の主体的表現であり、考えや気持ちが「そのまま」音声として現れる。考えを表すのが、著者のいう叙述助詞(テニヲハ)であり、気持ちを表すのが陳述助詞(感嘆助詞、終助詞)である。
 「自閉症児」は「助詞の誤用が目立つ」とされ、認知論の立場から叙述助詞(テニヲハ)の使い方が注目されているようだが、私はむしろ「陳述助詞の欠落」の方が問題であると思う。
 著者は末尾で「一方、コレ ワ ハナ ヨというときのヨ、イー ナーというときのナーが陳述助詞である。この助詞は論理的には談話に何も付加せず、伝達された情報を豊かにするものでもない。陳述助詞を省いて話すことは不可能ではなく、情報伝達にはまったく支障はない。しかしそれを省くことによって対人接触はいちじるしく円滑さを失い、談話としての効果を損ねてしまう」と述べているが、まさに、「自閉症児の言語」こそ、《対人接触はいちじるしく円滑さを失い、談話としての効果を損ねてしまう》典型ではないだろうか。
 ではなぜ陳述助詞が欠落してしまうのだろうか。その答を出すのも私自身でなければならないようである。(2018.10.5)