梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「64年、許されぬ痛み・長崎被爆者・永野悦子」

午前1時から、「ラジオ深夜便」(NHK)〈インタビュー「64年、許されぬ痛み」長崎被爆者・永野悦子〉を聴いた。永野氏は現在80歳、長崎被爆体験の「語り部」として、その悲惨な実態(この世の生き地獄)を中・高校生、若者たちに語り伝えているとのことであったが、タイトルにある「許されぬ痛み」とは何か。昭和20年8月、永野氏が16歳の時、鹿児島に疎開していた9歳の弟、13歳の妹を、長崎に「連れ戻し」に行った。二人とも長崎には戻りたくない、母親も「本人の希望に任せて」と言っていたのに、自分一人の判断で、強引に「連れ戻して」しまった。その結果、家族全員が被爆、弟は翌日、妹は1か月後に「死んでしまった」のである。もし、自分が連れ戻さなかったら、弟妹は死ななくてすんだのではないか。いや、絶対に死ななかったはずである。自分一人の判断で、弟妹を殺してしまったも同然だ。そう思うと、自分を許すことができない。父親も、二人の後を追うように他界、後には母親と自分だけが残された。母親の落胆、嘆きはいかばかりであろうか。でも母親は私を責めない。そのことが苦しくて家を飛び出したこともあった。母親は狂ったように自分を捜し回った由、やむなく帰宅して二人だけの生活が始まったが・・・。以来、64年、一日として弟妹に「ごめんね」と謝らない日はなかった。その日々こそが「許されぬ痛み」に他ならない。
 長崎被爆体験の語り部・永野悦子氏は、自分自身を「許せない」。でも、私は許せる。何があってもおかしくない戦時下、家族そろって暮らしたいという思いは当然至極、まさか長崎に原子爆弾が落とされるなんて、誰が想定できたであろうか。許せないのは、原子爆弾を投下した者である。それを命令した者である。原子爆弾を製造した者である。いたずらに降伏(敗北宣言)を引き延ばし、「一億玉砕」「一億特攻」などと、できもせぬ「世迷い言」をほざき続けた「職業軍人」である。おのれの考えを「正しい」と信じ込み、「問答無用」で反論(反抗)者を抹殺しようとした「テロリスト」である。
 ところで、彼女の「語り」を聴いた若者たちの反応は如何?64年に亘って、「(自分を)許せぬ痛み」を感じ続けられるなんて、そのような日本人がいることをどう思う?永野氏は強調する。「だから戦争を許してはいけない」。だがしかし、その思い、その願い、その正論を、いともたやす(問答無用で)抹殺しようとする世情、風潮が蔓延しているように、私は思うのだが・・・。(2009.8.9)