梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

温泉素描・奥蓼科温泉郷「渋・辰野館」

 JR中央本線茅野駅からバスで約50分、奥蓼科温泉郷「渋・辰野館」に投宿する。その昔(昭和30年代)、バスの終点にある「渋・御殿湯」に中学校の林間学校で訪れたことを思い出した。当時の山道は泥と砂利の凸凹状態、そこをボンネットバスが喘ぐように登っていく。夕食の米飯は「陸稲」、朝の洗面は裏の沢水で、黒百合平へのハイキング等々、懐かしいシーンが断片的に蘇る・・・。「渋・辰野館」の目玉は、何と言っても「信玄の薬湯」であろう。ホームページではその由来が以下のように説明されている。〈日本神話の中で、大国主の神と一緒に国づくりで活躍する小人の神・少名毘古那神がこの薬湯を発見したとの言い伝えがあり、由来は神秘に包まれています。「信玄の薬湯」の名は戦国時代以降。雄将・武田信玄が上杉謙信との合戦のため、八ヶ岳を巻いてこの奥蓼科を通る「信玄の棒道」を建設時にこの湯の薬効に驚き傷兵たちを湯治させました。それ以来「信玄の薬湯」と呼ばれるようになりました。この薬湯の湯の花と湯塩(湯気が結晶したもの)は古文書にも霊薬として多く記されとても古くから採取されていたようです。江戸時代中頃からは、湯を樽につめて薬用としての販売も始まり、明治初め頃から非常に盛んになり、それから昭和10年頃まで続きました。〉泉質は単純酸性冷鉱泉(泉温21度・水素イオン濃度PH2.9)、浴槽にはその源泉が「打たせ湯」として、滝のように流れ込んでいる。その音を聞きながら、まず温湯の方で十分に体を温め、汗が滲んできたら「打たせ湯」を浴びるのが常道か。「打たせ湯」の温度はほとんど水、一瞬ヒヤッとして飛び出たくなるのだが、じっと辛抱していると、徐々に冷たさは消え、えも言われぬ夢見心地がおとずれる。とりわけ、頭の頂点に湯水を当てると、そこは極楽浄土、これこそ温泉浴の醍醐味というものであろうか。私はこれまで、草津・万座・四万・法師・沢渡(群馬)などを皮切りに、北は北海道(湯の川)、南は九州(湯布院)まで、数え切れない温泉浴を体験してきたが、その「効き目」においては、ここが一番、全国の筆頭に挙げられるのではないかと思う。事実、ホームページには〈冷泉のため、熱さは感じませんが、成分が強いので湯あたりを起こしやすく、15分以内の入浴を促すため、内湯と露天風呂は深めになっています。肩まで浸かるには中腰になる必要があるので、長湯はできない造りにしています。〉という注意書きもあった。入浴を堪能して部屋に戻れば、あとはバタンキュー、このまま昏睡状態を経て永眠できれば「何て幸せだろうか」などと、罰当たりな妄想を巡らせた次第であった。感謝。(2013.10.18)