梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「たんぽぽの歌」(富士正晴・河出書房新社・昭和36年)

 「たんぽぽの歌」(富士正晴・河出書房新社・昭和36年)読了。登場人物は、古田織部、豪姫、豊臣秀吉、蒲生氏郷、ウス、ジュンサイ、杵太郎である。千利休の切腹直後から、古田織部が徳川家康に殺されるまでのおよそ二十余年間のできごとを、「織部雑記帳」(織部の独白)、「ウス雑記帳」(ウスの独白)という形で描いている。といっても、それは、歴史(事実)の記述ではなく、利休亡き後、秀吉から茶頭に指名された織部と、その庭番・ウスが思い描いた「心象風景」が中心で、テーマは「人間、いかに死ぬか」という一言に集約されるだろう。織部は利休の切腹について思いを巡らす。その原因を、直接、秀吉に問い質してもみるが、要領を得ない。巷間で様々に論議されている原因は、すべて該当しない、と秀吉は言う。だとすれば、織部自身が「想像」する他はない。つまるところ、武人と茶人の「天下争い」、利休は「切腹」によって、秀吉を超えようとしたのではないか、という結論に至る。事実、織部はもとより、細川忠興、豪姫、氏郷らの「心情」は利休の立場を支持しているに違いない。「武力」「権力」よりも「精神」「文化」を一義にするということか。ウスは織部の忠実で屈強な庭番、いわば「武力」の権化とでもいえようが、「雑記帳」をものするほどの「精神」「文化」の持ち主であり、とりわけ「人間、いかに死ぬか」という哲学は際だっている。秀吉の養女・豪姫(じゃじゃ馬然)と織部は懇意の間柄、織部は自分の屋敷に親しく出入りする豪姫の護衛をウスに命じていた。豪姫とウスは主従の間柄だが、いつしか身分の差を超えて惹かれ合う。二人はまた、賀茂川に晒されていた利休の首を盗み出し、堺まで送り届ける仕業までもやってのけた。その嫌
疑をかけられたウス、累が主人・織部に及ぶことをおそれ、暇を乞う。一人、都を後にした時、山中で刺客に襲われた。それを助けようとする織部と豪姫がかけつけ、ウスはかろうじて一命だけは取り留めたが、耳を吹き飛ばされる重傷を負う。なおもまた単身、都を去ろうとする途中、織部が時おり口ずさんだ一首「いうならく奈落の底に入りぬれば刹利も須陀もかわらざりけり」を思い出した。以下は、傷の痛みに耐え、死線を彷徨いながらウスが口にした独白である。「刹利とは大王や武士のごとく身分貴きもの、須陀とは穢多非人のごとく身分卑しきものをいうのだが、地獄の底では、貴き卑しきの差別はないという意味じゃと、織部さまからうかがったことがある。身分のへだて、貴卑の差別がないというこころであれば、昨夜、豪姫さまの寝所でのあれは、おそらく奈落の入り口であったのか。(略)けれど、豪姫さまは所詮奈落の入り口より笑って引きかえして行かれるが適わしい。うらはひとり奈落の底へ踏み下りて行くのが適わしかろう。寂しゅうはない。うらの顔は噴き出る耳の血で、半面紅に濡れ、地獄の赤鬼の如かろう。赤鬼の如き身分卑しき野良犬のうらの胸から、こうも笑いが顔へ走るのは何のことか。うらは、ゆらゆら傾いて一足一足、苦しげに、うれしげに、奈落へのすりばちを踏み下るのだ。いうならくで一足、奈落の底に入りぬればで一足、せつりも、一足、すだも、一足、かわらざりけり、一足。どうしてこうも、この峰の傾斜の長いことか。体はかっかと熱く燃え、雪の白と木の葉の緑が見たこともない清らかさ、美しさ、華やかさで、ゆらゆら左右に揺れながら昇天してゆく。寂しゅうはない。柔らかい掌で常時うしろから優しく押されている。奈落へお入り、奈落へお入り。足が重く、だるく、ゆっくりとしか運べぬ。いそぐことはない。足を運んでさえおれば奈落はそこなのだ。突き放されたようにふっと気が遠くなる。体はけだるいが、誰かが付き添うてくれているようで、死ぬことは寂しゅうはない。うらは一人ではないのかもしれない。いや、ひとりで歩いているのだ。皆から別れてしもうた。だが、死ぬことは寂しいことではなさそうな。冷たい寒いことでもなさそうな。あたたかい風がうらをつつんで渦巻いて吸い込んでゆくような。織部さまとも、豪姫さまとも、もはや逢えぬとこころに決めていたのに、はからずもあの峰で二人に逢えた。三人でともに戦うた。うらはもう思い残すこともない。ものごころついてより、念の残ることばかりあった。思い残すことはないと思うたのもはじめて。これほどうれしい目に逢うたことがないと思うたのもはじめて。なんの、死んで寂しいものか。奈落へいそぐことこそ嬉しや。いうならく奈落の底に入りぬればせつりもすだもかわらざりけり。うらはこうして、うつらうつら心たのしく山を下り、ふと前に目を向けた時、涯もない鉛の鏡のようなものを目の下に見た。湖とも奈落ともつかぬそのものは、つよくうらを吸うようにたぐった。うらは足許からくずおれ、気を失いながら、奈落の底へ入る!と思うたのだ」
 ここでは、「死にゆく立場」からの「死」が明確に語られている。要するに、①「死」は、生前の「差別」を超える、②「死」は寂しくない、③「死」は「冷たい寒いこと」でもない、あたたかい風が自分を包んで渦巻いて吸い込んでいくようだ。④「これほどうれしい目に遭うたことがない」、ということである。それらは、「生きている立場」「生きようとする立場」から見る「死」とは、正反対のイメージではないだろうか。これから「死のう」とする者にとって、「死」は「苦しくない」「寂しくない」「冷たくない」「寒くない」のである。むしろ「これほどうれしい目に遭うたことがない」ほど喜ばしいことなのである。
しかし、ウスは死ぬことができなかった。ジュンサイという高山右近の配下に救われたからである。生き延びたことによって、ウスは再び「生き地獄」に引き戻される。以後、様々な紆余曲折があったとはいえ、結果としては、そのジュンサイも、秀吉も、氏郷も、そして織部さえも「死に」果て、残ったのは家康、豪姫、ウスだけという「皮肉な」終章となった。ウスもまた「冬蜂の死にどころなく歩きけり」という思いを抱いていることはたしかであろう。「死」を望む者は「生き」、「生」を望む者は「死ぬ」という「現実」は、今も昔も変わらない。(2009.3.18)