梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

京都・東山銀閣寺・《銀沙灘の謎》

 京都・東山銀閣寺に赴く。その目的は参拝でも観光でもない。過日読んだ名著「日本の伝統」(岡本太郎・光文社知恵の森文庫・2005年)の中の一章「銀沙灘の謎」を確かめるためである。岡本太郎は以下のように述べている。〈銀閣寺の銀沙灘はまったく、だれにも意外なものであるに違いありません。正直にいって、はじめて見たとき、私じしんがギクッとしました。(中略)門をくぐって入ったとたん、目の前に、胸高いところまで盛りあがった白砂のひろがりが、ドカンとたちふさがっています。ところせましといった感じです。古寺とか庭とかいう、尋常な期待でここに来たものは、とまどわされる。しかも、その右がわには、さらに一だんと高くきわだって盛り上がった、白砂のすりばち山が対応してひかえています。庭全体を抱いている東山の木々、そのやわらかく沈んだ緑と、ややあらあらしいまでの砂の白さとは、なにかチグハグな不協和音を発しています。(以下略)〉銀閣寺の「向月台」(すりばち山)と「銀沙灘」(石庭)は、その色彩においても、形態においても、尋常ではない異色・異様な景色を描出している。正に「チグハグ」、正に「不協和音」。だがしかし、世界的な芸術家・岡本太郎の眼には、それが稀有な芸術作品として映るのだから面白い。事実、前出書の中には、その「見どころ」を写した(彼自身の撮影による)風景写真が8枚ほど掲載されている。その写真こそ、岡本太郎が見出した銀閣寺の「伝統」(美)に他なるまい。それを直接この眼で確かめたいと思い、はるばるやって来た次第である。岡本太郎が来訪したのは30年以上も前、はたしてその「見どころ」は現存しているだろうか、などと期待に胸をふくらませつつ、その撮影ポイントを探し回った。辺りは今や、修学旅行シーズンの真っ最中、小学生・中学生・高校生の団体があわただしく通り過ぎる中、なるほど、たしかに、私はその「見どころ」のいくつかを探し当てることができたのであった。何も知らなければ、ぼんやりと見過ごしてしまうであろう「銀沙灘」の「形状」「模様」も、岡本太郎が見出した拠点(撮影ポイント)から眺めると、瞬く間に名作の「絵画」「彫刻」に変貌してしまうといった按配で、「お見事」という他はなかった。極め付きは、方丈(本堂)縁側から展望する「銀沙灘」と「向月台」、背後にある月待山とのコントラストが、えもいわれぬ美しさを醸し出す。白砂ばかりを見ていてもわからない。両者を「同時」の視野に取り込むこと(借景)によって、初めて浮かび上がる「自然」と「反自然」の対立と統一、そのもの凄い「風景」に、「私じしんもギクッと」することができたのであった。あちこちでは、観光客相手のガイドが、銀閣寺の発祥、見所などについて解説してはいるが、この「銀沙灘」「向月台」については、せいぜい、①月1回、庭師が手入れをして形状を整えています。②素材の白砂は、(どこらやらの)川砂で、硬く固まっており、人が踏みしめたくらいでは形も模様もかわりません。③「向月台」の辺りは、昔の人が月見をした所です、程度であったろうか。要するに、自然の風景に対立する、この「向月台」と「銀沙灘」が、どんな経緯で、どんな目的で造られたか、人々はそれら「反自然の作物」をどのように愛で楽しんできたか、については誰も説明できないのである。「月見の宴」の舞台であるのなら、名月、満月の頃合に庭を開放するのはあたりまえだが、そのような企画は聞き及ばない。とはいえ、私自身は、岡本太郎の導きによって、名勝・銀閣寺庭園の真髄を十二分に堪能きたのだから何の不足もない。望外の幸せを感じつつ帰路に就くことができたのであった。
(2010.10.6)