梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

映画「故郷(ふるさと)」(監督・伊丹万作・1937年)

 ユーチューブで映画「故郷(ふるさと)」(監督・伊丹万作・1937年)を観た。
 信州の山村にある酒屋の家族の物語である。タイトルバックには、ニワトリ、牛、犬の鳴き声、小鳥の囀り、子どもたちの唱歌「水師営の会見」が聞こえる。やがて映し出されたのは「喜多の園」という看板の酒屋で、味噌、缶詰なども扱っているようだ。店先では、小学校5年生の剛(船越復二)が、教科書を音読しながら店番をしている。別荘から注文の電話がかかってきた。自転車で品物を届けると、使用人の婆やが「姉ちゃんが帰ってくるよ」と言う。姉の喜多子(夏川静枝)は、別荘の娘(五條貴子)と一緒に、この春、大学を卒業して帰郷することになったのだ。喜多子は村一番の秀才で、村長はじめ周囲の期待を集めて、東京の大学に進学したのだが・・・。そのために兄の堅太郎(板東蓑助)は、先祖伝来の田畑を売り払い、学資の援助を惜しまなかったのである。帰郷後は県会議員・縣(山田好良)の口利きで教職への道も開けていた。しかし、喜多子は、すっかり東京の文化に染まり、古い慣習に縛られた田舎の生活になじめない。小説本を読みふけり、家事、店の仕事は一切しないという毎日が続く。そんな様子を見て、堅太郎は「大学なんぞにやるんじゃなかった」と後悔する。母(藤閒房子)もまた、東京の大学で、娘が「一変」してしまったと感じている。面会に行ったとき、母の身なりがみすぼらしいのを見て、学友が「あれ、あなたの婆や?」と訊ねたとき「ええ、そうよ」と答えた情景が、いまでも目に焼き付いているのだ。
 ある日の夜8時過ぎ、喜多子が一人で読書しながら店番をしている。馴染みの老爺・八兵衛がやって来た。「兄さんどこに行ったのかしら、早く帰ってきてくれないと困っちゃうわ」「将棋を指していたよ」「まあ、のんきだこと」「たまには店番もいいだろう」「ちっともよくないわ。第一、店番なんてあたしには向いてないもの」「そうではねえだ。店番だって立派な一つの学問だ。学問は学校だけのものではねえ。長い一生から見れば学校にいる間は短いもんだ」「それ、八兵衛さんの哲学?」「何だか知んねえ、だがなあお喜多坊、おめえの兄さんは、先祖代々の田畑を人手に渡しても、おめえの卒業を楽しみに、何年も頑張ってきたんだ。それを思やあ、ちょっとの間、店番させられたぐらいで不平なんぞは出ねえはずだ。これくらいの道理がわかんねえような学校の学問は大したことねえだ」。喜多子が黙り込むと「へっへっへっへっ・・・」と笑いながら「年寄りはこれがいけねえだ」と頭をかく。そして、帰りの景気づけに一杯飲みたい、と言う。喜多子は、やり方が判らないから自分でやって、でも商売道具に手をつけちゃまずいと言っているところに、堅太郎が戻ってきた。様子を察した堅太郎は、喜多子に酒を樽から注ぐように命じるが、応じない。やむなく、堅太郎は一発ビンタをかまし、喜多子に酒の注ぎ方を教える。 翌日か、翌々日か・・・、喜多子は別荘に行き、学友と兄(三木利夫)に、そのことを訴える。二人は「それは、いけない。暴力はいけない。(インテリゲンチャとそうでない人は根本的に考え方が違う。別の人種だと言える。)東京に来て妹の家庭教師をしてくれないか」と誘う。それまでの辛抱ができるかどうか、喜多子は岐路に立たされる。
 学問を追求する剛の小学校でも対立・葛藤が起きていた。剛は土地の有力者・縣の息子(本田靖)と、鳥の巣の取り合いをきっかけに、ケンカを繰り返している。自分以外は縣の味方、校庭でも独りでいることが多かった。そんな様子を担任の彦太郎(丸山定夫)が心配するが、彼もまた校長(高堂国典)と意見が合わない。縣の息子を特別扱いしない、子どもを虐待する受験勉強はしない、「学校の教育方針は校長が決める」と言われ、さっさと退職してしまった。次の仕事は、父・彦作(丸山定夫・二役)の温室農家でメロン栽培、地元の高校スキー部監督(コーチ?)も務めるようになった。
 夜、喜多子は母と居る。喜多子が「家族はバラバラ、もうどうにもならない」と呟くのを見て、母は「お前の方でも、みんなに合わせてくれなきゃ」と本心を語り出す。「お前は東京に出てから変わってしまった」。そこに堅太郎が帰ってきた。喜多子に「てめえはおしゃべりだなあ」「何のこと?」「この前オレがお前を撲ったことを、別荘辺りでしゃべったに違いねえ」・・・「あたしにどうしろと言うの?」「朝5時に起きて炊事、掃除、店番、夜は針物、おっかあの肩も揉むだ」「あたしのできないことばっかりだわ。もう我慢できない。この家を出て行くわ」「ああ、出て行くがいい。その代わり、帰ってきても家の敷居は一歩もまたがせない。その覚悟があるなら出て行け」。喜多子は心に決めた。「出ていくわ」、残された堅太郎と母の姿が、氷のように固まっていく。
 時は、春から夏、秋、冬と過ぎ、また春が来る紀元節のころ、信州の山村は雪で覆われている。堅太郎と剛が店先で雪かきをしていると、スキー部の連中が競技大会に出かけていく。引率するのは彦太郎、「スラロームの他は優勝だ」と胸を張り、停車場へ・・・。その停車場に汽車が入ってきた。降り立った人影の中に、手提げの行李を一つ持った喜多子の姿があった。彼女は、はやる気持ちを抑えて店の近くまで進んだが、ピタリと足が止まった。堅太郎が雪かきをしていたのである。「二度と敷居をまたがせない」という言葉が浮かんできたのであろう、背中を向けて歩き出した。行き先は、剛が通う小学校、講堂の辺りから「雲に聳ゆる 高千穂の。高根おろしに 草も木も。なびきふしけん 大御世(おほみよ)を。あふぐ今日こそ たのしけれ」(高崎正風 作詞,伊沢修二 作曲)という子どもたちの歌声が聞こえてくる。喜多子はそこにいつまでも立ち尽くし、剛が下校するのを待つ他はなかった。やがて式典は終了、子どもたちは三々五々、帰路に就く。やはり、剛が目ざとく喜多子を見つけた。思わず「姉ちゃん!」と駆け寄る。
 夜、堅太郎が、今日の売り上げを計算している様子で、剛に算盤をはじかせている。
その時、母が言う。「・・・堅! ゆうべ喜多子が帰ってくる夢を見たよ。たいそうやつれた姿で・・・けえってくればいいのになあ。そう思わねえかよ、堅!」堅太郎は、母の方を見やって「それは夢ではなかべえ。二階に居る女は誰だね?」「二階? 誰もいやあしねえだ」「樽の隅に隠してある下駄は誰の下駄だね。おらあ、二階に行って見てくる」と言うと、「あたしが降りていくわ」と、喜多子が階段を力なく降りてきた。堅太郎を見るなり「兄さん!」と叫んだが、後は言葉にならず、その場に泣き崩れる。母は堅太郎に「許してやれ、許してやれ」、喜多子に「早く、兄さんに謝れ」、そして二人に「二人ともオラの子でねえか、仲直りしろ」。しかし、堅太郎は「出て行った時のことを思えば、今さら帰ってこられるはずはない」と固い表情を崩さない。その時、スキーの競技大会から選手連中が帰還、彦太郎が元気よく入ってきた。「堅さん!勝ったよ!」と報告に来たが、「あれ?喜多ちゃん、いつ帰った」と驚いた。母が「彦さんにも謝ってもらおう」と言うと堅太郎は「それは筋違いだ。彦さんには何も関係がねえ話だ」。喜多子は、初めて口を聞いた。「あたしは世間のおそろしさを知りました。どうか、ここに置いて下さい。もう、どこにも行く所がないんです。これから働きます。兄さんの気に入るようにします」。堅太郎はまだ黙っている。彦太郎は「堅さん、オラが口出しするのは筋違いかもしれねえが、もういい加減に勘弁してやってくんねえか、なあ、堅さん!」母も、「彦さんが、ああ言って下さるんだもの」と言って堅太郎を見つめる。そして彦太郎もまた・・・。堅太郎は、しばらく俯いていたが、顔を上げ頭をかきながら「・・・どうも、おらあ、彦さんに言われると、勝てねえでなあ」と頬笑んだ。「ハハハハ、それでいい、それでいい。それよりみんな聞いてくれ。今日はスラロームも勝って、全勝だったぞ! 一本つけてもらわないと・・・」「じゃあ、鬨(かちどき)の新酒にしましょう」と祝う空気が全体を覆う。
 やがて大詰め、雪も解け。水車の周りに菜の花が咲き乱れる季節となった。メロン栽培の温室の前でタバコを吹かし、語り合う老人二人。彦太郎の父、彦作がもう一人に「彦がなあ、やっぱりアレでなくちゃあいけねえって言うだ」「いけねえって言うだか」と言って笑い合う。温室から喜多子の姿が現れた。そこに自転車に乗った剛が「姉ちゃん!」と呼びかける。喜多子も微笑みながら「なあに?」と訊ねると「ポカーン」と言って走り去った。それを見た老人二人の笑い声がいっそう高くなるうちに、この映画は「終」となった。
 
 この映画の眼目は、村のエリートが、周囲から期待されて東京の大学に進学、学問を究めて戻ったが、「イデオロギー」の違いに戸惑い、疎外されていく、一度は、自分の道を貫こうとしたのだが、都会でも世間の「壁」(おそろしさ)に阻まれて挫折、行き場のないところを、これもまた「落ちこぼれた」教員に救われる、といった「人間模様」の描出だったのだろう。喜多子が遭遇した「世間のおそろしさ」とは、どのようなものだったのだろうか。多分、別荘に居たインテリゲンチャ、学友の兄の「甘いささやき」に裏切られたのかもしれない。本筋のテーマは重厚だが、やや「生硬」で「艶」不足、私の関心は、もっぱら、俳優それぞれの「個性」の方に傾いた。なかでも、教員・彦太郎役の丸山定夫は、その父親までも「二役」で演じるという「離れ業」をやってのける。実の親子二人を一人の俳優がこなすなど、望外であり、その演技力に感嘆したのである。兄妹を演じた板東蓑助と夏川静枝は、やや単調、お互いが相手をどう思っているのか、「絆」の心象表現には「今一歩」の感があった。好演は、剛役・船越復二の健気さ、母役・藤閒房子の素朴な母性、八兵衛役・永井柳太郞の木訥とした人情の描出が鮮やかで、どこにでもいそうな人物を、衒うことなく自然に描き出す演技に心動かされた。また、前述では触れなかったが、県会議員・縣役の山田好良と細君役の常盤操子の絶妙な「やりとり」、彦太郎と対立する校長役・高堂国典の、いかにも「校長らしい」俗物的な景色も光っていた。蛇足だが、彦太郎が算数の授業の中で、円周率「3.14」(サン・テン・イチ・ヨン)を「サン・ショウスウテン・イチ・ヨン」と称していたことには驚いた。「なるほど」と、戦前の算数教育を垣間見る思いがして、たいそう興味深かった。(2017.6.20)