梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

安倍首相は「首提灯」

 東京新聞6月11日付け朝刊「本音のコラム」(27面)に、法政大学教授・山口二郎氏が「文明か野蛮か」という一文を寄せている。「この一週間の国会審議を見て、日本の議会政治の崩壊は最終段階に入ったと痛感した」という書き出しに始まり「われわれも文明人でありたいなら、黙っていてはならないのである」と結んでいる。内容は、安倍首相の答弁は、聞かれたことに答えず無駄話に終始しており、小学校の学級会にも劣る、首相は政治家以前の、人間としての礼儀作法ができていないと非難している。さらに、公私の区別がなく、国の財産を私物化、役人を使用人として隷属化、あったことをなかったことにする「野蛮国」にしている、とも述べている。氏の見解に私もまた全面的に同意する。もともと、安倍首相の「人間性」は小学生以下、祖父・岸信介氏に溺愛されて、つゆほどの「しつけ」も身につけていない。そのことを彼自身の「言動」が証しているのである。彼にとって「答弁」とは、「答えないこと」であり、相手をはぐらかし、煙に巻くことに他ならない。それが政治家(権力者)の実力だとも言いたげに、取り巻くポチ議員が拍手すると、悦に入って質問すること自体を封じようとする。まさに未熟の極み、愚の骨頂と言う他はない。
 私は4カ月前、「安倍政権、まもなく《崩壊》」と綴ったが、最近の「週刊文春」の「読者アンケート」では、内閣支持率は22%、不支持率は78%、すでにもう安倍政権は《崩壊》しているのである。そのことも知らずに、まだ権力にしがみついている愚かさは、アンデルセンの「裸の王様」と同様である。「美しい国」日本には「首提灯」という落語もある。自分の首が斬られていることも知らずに、その首を提灯代わりにして「はい、ごめんよ、はいごめんよ」と火事場をうろつき回る、あの男と「瓜二つ」なのだ。
 首が地に落ちるのは時間の問題、それまで静観していようと思ったが、山口氏の「黙っていてはならないのである」という檄に励まされ、筆を執った次第である。
(2017.6.11)