梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

映画「吾輩ハ猫デアル」(監督・山本嘉次郎・1936年)

 ユーチューブで映画「吾輩ハ猫デアル」(監督・山本嘉次郎・1936年)を観た。原作は夏目漱石の小説、その主役は「吾輩」と名乗る猫だが、映画に登場する猫は、何とも貧相で、旧制中学の教員・珍野苦沙弥先生(丸山定夫)宅に迷い込み、女中の清(芸名不詳・好演)につまみ出されそうになったとき、先生が「置いてやればいい」という一言で、ようやく珍野家の一員に加えられた。清に雑巾で足を拭かれたとたん、床に放り出された。思わず「ギャー」と叫ぶなど、可愛らしい様子は微塵も見られない。どこにでも居る、ただの野良猫に過ぎず、登場人物の合間を時折、通り過ぎる程度の役回りであることが、たいそう面白かった。
 映画の主要な登場人物は、先生の他、その妻女(英百合子)、美学者・迷亭(徳川夢声)、先生の教え子で理学士の水島寒月(北沢彪)、観月の友人で詩人の越智東風(藤原釜足)、近所の実業家・金田(森野鍛冶哉)、その妻女・鼻子(清川玉枝)、その娘・富子(千葉早智子)、先生の教え子・多々良三平(宇留木浩)、車夫(西村楽天?)の女房(清川虹子)といった面々である。
 話は迷亭が先生宅を訪れ、「寒月君が恋をしているようだ」と言う所から始まる。ある梅見の宴で、寒月と金田富子が出会い、向島の安倍博士邸で行われた演奏会でも、富子のピアノに合わせて寒月はヴァイオリンを弾いた。どうやら恋をしているのは富子の方らしい。梅見の宴には東風も居り、富子に一目惚れ、演奏会でも新体詩を捧げたがケンモホロロ、全く相手にされない。終演後、富子が寒月に「自動車でお送りします」と声をかけるが、寒月は「いえ、ボクは土手を歩いて帰ります」と断った。吾妻橋にさしかかったとき「寒月さーん」と呼ぶ声が聞こえる。その声は川の中から・・・、寒月は意を決して欄干から飛び込んだが、気がつくと橋の真ん中に立っていたそうである。翌日、迷亭が再び、今度は寒月を伴って先生宅を訪れ、寒月から直接そのホラ話を聞いたのだが・・・、その場に、またまた先生の教え子・多々良三平が訪ねてくる。佐賀から上京したとのこと、土産の山芋を持参している。三平曰く「これからの時代は金が物を言う、株で一儲けしようと思うとります。実業家が天下を取るでしょう。先生も学問なんかやめて実業家になりませんか」。応えて先生曰く「わしは金は嫌いだ、儲けたければ勝手に儲ければいいだろう」持参した山芋を見て、「これは何だね」「山芋ですたい。先生もこれを食べて、ひとつ元気になりしゃんしゃい」。  
 しかし、その山芋を口にすることはできなかった。その日の夜、寝静まった先生宅に泥棒が闖入、着物と一緒に盗まれてしまったからである。泥棒の闖入と同時に、猫の「吾輩」はニャーニャーと鳴きながら、部屋を出て行く。何の役にも立たない猫の景色が、ことのほか絵になっていた。
 次の日の朝、先生は盗まれた品々を書き出している。その場の細君とのやりとりは抱腹絶倒、「何だ、お前の恰好は、宿場女郎のようだ」「帯を盗られたんだからしょうがないでしょ」「いくらだ」「6円です」「高すぎる。1円50銭にしておけ」「そんな帯、ありませんよ」「あとは?」「山芋一箱」「いくらだ?」「知りませんよ」「じゃあ12円50銭にしておこう」「そんな高い山芋がありますか、バカバカしい」「だって、お前は今、知らないと、言ったじゃあないか」「知らなくたって、そんな法外な値段がありますか」
「知らんけれども十二円五十銭は法外だとは何だ。まるで論理に合わん。それだから貴様はオタンチン・パレオロガスだと云うんだ」「何ですって」「オタンチン・パレオロガスだよ」「何ですそのオタンチン・パレオロガスって云うのは」「何でもいい。それからあとは――俺の着物は一向出て来んじゃないか」「あとは何でも宜ようござんす。オタンチン・パレオロガスの意味を聞かしてちょうだい」「意味も何もあるもんか」「教えて下すってもいいじゃありませんか、あなたはよっぽど私を馬鹿にしていらっしゃるのね。きっと人が英語を知らないと思って悪口をおっしゃったんだよ。私だってそれくらい知っていますよ」「じゃあ、何だ。言って見ろ」「オタンチンとは頭のこと、パレオロガスとは禿げのことでしょ!」といった、丁々発止の「やりとり」は、月並の夫婦の間では、決して聞くことはできないであろう。
  数日後、先生が勤めから帰ると、迷亭が訪れていた。そこにまた、金田富子の母・鼻子が自宅(洋館のある大きな屋敷)から先生宅まで、わずか数十メートルの道を自家用車で乗りつけた。この母親の名前は不詳だが、鼻が異様に高いので先生たちがつけた仇名である。初対面で、先生と迷亭はまずこの鼻に驚いたが、そんなことはおくびにも出さず応対すれば、いきなり「こちらに出入りしている、水島寒月という人は、どんな人物でしょうか」と切り出した。富子の婿として寒月がふさわしい人物か、身元調査に来たのである。理学士として将来有望か、博士号を取れるかなどなどを探りに来たらしい。先生も迷亭も、その高飛車な態度に「鼻持ちならない」と感じている様子がよくわかる。「寒月という人はどんなことを勉強しているのですか」「大学院で、地球の磁気の研究をしています。最近では『首縊りの力学』という論文を書きました」「そんなことでは博士号をとれそうもありませんね」「いや、本人が首をくくらなければ、できないこともないでしょう」「もっとわかりやすいものを勉強していると都合がいいんですがね」「寒月君が作った歌があります。《よべの泊りの十六小女郎、親がないとて、荒磯の千鳥、さよの寝覚の千鳥に泣いた、親は船乗り 波の底》というのはどうでしょう」「アラすてき!しゃみ(三味線)に乗りますわね」。鼻子は寒月の「人となり」を感じ取ったか、「それではこれで失礼いたします。私が来たことは寒月さんには御内密に・・・」と言って帰って言ったのだが・・・。見送った先生と迷亭の笑いが止まらない。「なんだ、あの鼻は!」「あの鼻は猫背だよ」「あれは19世紀に売れ残って20世紀に店ざらしといった顔だ」と言いたい放題、しかし、その様子を隣の車屋夫婦に見られてしまった。この夫婦、鼻子から言いつけられて先生宅(寒月の動静)を日頃から監視しているのである。
 かくて、その情報はすぐさま金田家に伝えられる。金田家の事業は証券取引、従業員が忙しく立ち働く中に多々良三平の姿もあった。先生の友人の紹介で金田家に就職したらしい。
 やがて、金田から先生宅への「いやがらせ」が始まる。先生宅の隣は金田が出資した学生寮、寄宿生たちが「まっくろけ節」を唄って大騒ぎ、野球のボールを投げ込んでは、先生の仕事の邪魔をする始末、とうとう先生は「神経衰弱」(ノイローゼ)で寝込んでしまった。見舞いに来た迷亭と話し込んでいる時、玄関に刑事が訪れた。先日の泥棒を捕まえたので同行・報告に来たという。あわてて先生、「ごくろうさまです」と泥棒の方に挨拶をしてしまった。迷亭に指摘され、「でも、あっちの方が偉そうだったぞ、袋手なんかしていたもの」「あれは手錠を隠していただけだ」「なんだ、そうか」「そんなに暢気なら、神経衰弱も大したことはないな」。
 一方、金田富子は越智東風が舞台監督を務める芝居のヒロインに出演することに・・・、寒月に招待状を出したのだが、彼は用事があって故郷に帰ったという。富子は拍子抜け、さんざんに駄々をこねて、「舞台には出ない」という。6時開演だというのに、30分超過しても幕が上げられない。その最中、多々良三平が観客席の金田のもとに飛んで来た。(世界)情勢の変化で、株が暴落したという。見る見る顔面蒼白となった金田は、急いで帰宅。芝居の公演もメチャクチャになってしまった。そのことを報告に先生宅を訪れる東風、迷亭も同席している。3人でビールでも飲んでいたか、先生に抱かれていた猫の「吾輩」もその「おこぼれ」を舐めだした。そこにやって来たのが寒月、玄関先に直立している。よく見ると、隣には妙齢の女性が・・・、「実は、故郷に帰って嫁をもらって来ました。御紹介します、これが愚妻です」「そうか、そうだったのか」、一同は「これはめでたい」と寿ぐ空気に包まれたが、「大変!猫が井戸に落ちました」という声が鳴り響く。先生も迷亭もあわてて井戸の中を覗き込むが、時すでに遅し、猫はあえなく溺死してしまった。ビールを舐めたことが災いになったのだろう。 
 先生は猫を供養し墓を建てた。墓標には「この下に稲妻起る宵あらん」と墨書されている。そこに多々良三平がやって来た。「金田家は株の暴落で潰れました。私も一文無し、また一から出直します。金田からどうしても富子を嫁に貰って欲しいと頼まれたので貰ってやることにしました。ハハハハハ」「そうか、それもまた、いいだろう」「先生、あれは何ですか」「猫の墓だよ」「あの猫は死んだんですか、惜しいことをしましたなあ、うまそうな猫だったのに」、先生の細君は呆れて「まあ、いやだ、三平さん、猫食べるの?」などと言ううちに、この傑作は「終」となった。
 それにしても、昔の役者には「風格」があった。その筆頭が苦沙弥先生を演じた丸山定夫、表向きは学問を極めようとする素振りを見せながら、その実は昼寝をしたり、「鼻毛にも白髪がある」と感心したり、絵を描いたり、要するに「遊んで」暮らしている。妻女役の英百合子に向かって「馬鹿野郎」と言うことが日課になっている。それに対して英百合子も負けてはいない。彼女は彼女で「バカバカしい」と言って応じる。この二人の対話には、えもいわれぬ「味わい」(ユーモア)が感じられるのだ。極め付きは、「オタンチン・パレオロガスだよ」という時の丸山の表情、妻女に向かって思い切り「しかめ面」をしてみせる場面は笑いが止まらなかった。原作者・夏目漱石の「余裕派」の風情を、いとも自然に醸し出す。美学者・迷亭を演じた徳川夢声もまた然り、先生の妻女に、蕎麦の食べ方を伝授したり、「月並み」とはどんな意味かを講釈したり、遊び人としての「貫禄」は十分、そこに居るだけで「ホッとする」、魅力的な風格を備えている。金田を演じた森野鍛冶哉の「成金」振り、鼻子・清川玉枝の「高慢」さ、富子・千葉早智子の「わがまま」放題、寒月・北沢彪の「二枚目」、東風・藤原釜足の「三枚目」もどき、車屋夫婦・西村楽天?、清川虹子の「庶民」気質、三平・宇留木浩の「拝金」主義等など、それぞれの役者の個性が、明治時代の世相・人間を曼荼羅模様のように鮮やかに描出している。  
 この映画の1年前、丸山、徳川、森野、藤原、宇留木は、やはり監督・山本嘉次郎のもとで、夏目漱石原作の「坊ちゃん」を演じていた。主人公・坊ちゃんは宇留木、校長は徳川、赤シャツは森野、山嵐は丸山、うらなりは藤原という配役であった。宇留木は新人としてデビューした第1作であり、1年後には堂々と三平役をこなしている。したがって、この「吾輩ハ猫デアル」は「坊ちゃん」のチームワークを土台として、さらに大きく花開いた名作だともいえるだろう。以後、宇留木は33歳で夭逝、丸山は広島で被爆、44歳で没したという。まことに残念、惜しい人材を失ったと思う。
(2017.5.5)