戦後文学の思想と方法・戦後の状況・Ⅰ・《9》
さて、8月15日以後、日本の戦後は出発する。それはひとくちにいってアメリカと民主主義への出発であった。そして前者は、それがアジアにおける植民地支配競争の勝利者としてあった以上、日本資本主義にとっていわば必然的な帰結ではあったが、後者はいわばひとつの偶然であったといっても過言ではない。
〈第二次世界戦争中におけるウオール・ストリートのさしあたっての主要目標は、西半球からすべての帝国主義競争者を閉めだすこと、太平洋における一方的支配および極東の大部分において脅かされることのない支配を確立することであった。〉(『アメリカ帝国主義』・ヴィクター・パウロー・190頁)
原子爆弾がそのような目的にもとづいた、「冷戦」の最初の作戦であったことは周知の事実である。そして日本は、そのようなアメリカの目的に積極的に協力する形で、敗戦の打撃を切り抜けようとした。
〈アメリカの単一占領を成功せしめたものは、日本の支配階級の政治であった。ここに吉田内閣に代表せられる戦後の日本の支配階級の政治的態度が原型において打ち出されている。〉(『日本資本主義講座』・Ⅰ・前出・248頁)
〈アメリカはポツダム宣言の忠実な履行者としてではなく、その太平洋支配の基地として日本を護持するために、ポツダム宣言の使徒の仮面をもって日本に君臨した。(略)ここにアメリカの「民衆化」政策がはじまる。(略)それはかつての対立物であった日本帝国主義を再編成し、その完全な服従を強制するためにまずこれに対して大規模な手入れをしようとした。〉(前出・252頁)
「民主化」政策の中で、私は今ここでは「農地改革」と「新憲法」の問題に簡単にふれてみたいと思う。
〈戦後における日本農業の危機は、地主的土地所有と隷属的小生産との間の矛盾、半封建的農業と資本主義的工業(軍事的に畸形化されたところの)との間の矛盾という二重の関係として発現し、そこから農業生産の減退と食糧問題の破綻がひろがっていた。(略)「農地改革」のイニシアティヴは、いかんながらまずはじめは国内の支配階級の手に渡り、ついでマッカーサー司令部の手に移された。(略)アメリカ帝国主義と国内支配階級は「農地改革」によって農民の土地改革への道をふさごうとした。改革そのものは農業を発展的に建てなおすこともできなければ、国内市場を拡大することもできなかった。〉(『日本資本主義講座』・Ⅳ・前出・49頁)
〈それが意図したことは基本的な諸矛盾にたいする農民の注意をそらすことであり、アメリカ帝国主義の支配の下で独占資本家と地主がふたたび農民に吸着できるようにするための道をひらいたにすぎない。〉(前出・56頁)
さて、「新憲法」すなわち「日本国憲法」の理念は、主権在民、基本的人権の尊重、議院内閣制の基本三原理に代表される。それはいわゆる代表制民主主義、ブルジョア・デモクラシイといわれるものである。私はそうした理念が、現実の社会過程の中においていかなる役割をはたしているか、もしくはいないかをみていかなければならない。そしてそのことは「戦後」状況を評価するうえでの、きわめて重要な視点をさだめることになると思われる。私は先ほど、近代政治学のからくりということをいった。それが何故であるかを答えようとすれば、必然的に「日本国憲法」に象徴される代表民主主義について検討しなければならない。
日本は資本主義国家であると同時に、代表制民主主義国家である。したがって、日本国民は、政治的に主権、基本的人権を保証されている。だが、同時にひとりの勤労者、労働者として生産活動を展開し、そのことによって必然的に、独占資本家の経済的支配の下に組み込まれていかざるをえない。しからば、その経済的支配とはいかなる構造をもつのであろうか。
(1967年3月)
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