梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

戦後文学の思想と方法・戦後の状況・Ⅰ・《8》

 次にその戦後過程を見てみたいと思う。

 〈戦争と戦争経済とは、日本資本主義に内在する諸矛盾を発展させ、敗戦によって日本資本主義の国家制度、社会制度が打撃をうけたたときに、もはや何らかの改革なしにすませることができない程度に達していた。戦後の虚脱といわれた状態の底流にあったのは実のそういう性格の問題であった。日本国民の前には、たしかにブルジョア地主的な圧制からの革命的出口が開かれていた。それを利用して、自己の根本的利益にしたがって、日本経済を再建してゆくか可能性が・・客観的には与えられていた。(略)日本帝国主義の企図は粉砕され、その主要な勢力は重大な打撃をうけていたが、支配階級の独裁の骨組みだった抑圧諸機構はまだかなり体系的なものとして残っていた。(略)やがて経済再建と民主主義的自由をめざす国民の統一行動が昂揚してくると、その発展を阻止しようとするのは単に弱体化した支配権力だけでなく、むしろ国内権力を隷属させている占領制度こそが決定的要素である、という点がハッキリしてきた。〉(前出・42頁)
 さて、1945年8月15日を軸とした日本の歴史的転換を、政治・経済的視点からみるとき、共に「民主化」という方向に総括されながら、前者には占領制度、ポツダム宣言実施の集約的表現としての新憲法という問題、後者にはアメリカの「援助」政策、「農地改革」等がきわめて重要な問題として浮かび上がってくるだろう。だがその前に、今まで述べてきた中でふれなかった問題で、きわめて重要だと思われるものにふれておきたい。
 日本は敗北した。だがそれはいったい誰の敗北であったのか。それはやがて、日本とは何か、日本という国家を代表するものは何であるのかという問題に通じる。近代政治学によれば、国家の三要素とは領土、国民、主権(国家権力)である。なるほど日本は、多数の国民が戦死し、領土は縮小され、主権は占領軍のそれに隷属した。だがそのとき注意しなければならないのは、近代政治学のもつひとつのからくりである。このことについては後述するが、ともかくもそれが国家の三要素というとき、国家社会のもつ経済的な側面が見落とされている。すなわちその国家の経済体制を抜きにした政治学など観念論にすぎない。いうまでもなく、資本主義国家社会の内部にあっては、階級的対立(搾取、被搾取という経済的関係)と政治的対立(支配・・権力の行使・・、被支配という政治的関係)が同時に存在する。
 戦前の天皇制国家における封建的要素とは、前近代的な身分制を拠りどころとした後者のヴァリエイションである軍部官僚に他ならなかった。そして8月15日の転換とは、けだし天皇制権力の行使者としての軍部官僚の崩壊に他ならなかったのである。日本帝国主義は、敗戦によって打撃を受けたが、けして崩壊しはしなかった。そればかりか天皇制権力機構ですら、敗戦という事実だけでは崩壊しなかったのである。私はいわゆる社会構成としての支配・被支配の関係を、政治的なそれと経済的なそれとの二重関係としてつかまない限り、戦後状況の本質はつかめないと思う。

(1967年3月)

戦後の状況・Ⅰ・《8》 : 戦後文学の思想と方法